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文字の洪水に溺れながら

人生初心者、でも人生のハードモードぐらいを生き抜きたい人間。

デミアン

デミアン (岩波文庫 赤435-5)

デミアン (岩波文庫 赤435-5)

友達に薦められてみたから久しぶりに岩波文庫を読んでみた
結果として3日もかかっちゃって自分の読書能力の衰えにうんざりする、っていうかそんなことは本題じゃないからどうでもいいんだけど、とりあえず自分へのメモとして毎日少なくとも一冊は読まないと明らかに読書能力は低下するので注意。

さてデミアン自体を読んだ第一の感想
アンビバレンツという感情の変遷とはずいぶんとまぁ緩くなってきたもんだといったところ。
そもそもデミアンの物語自体は青年期の善と悪との葛藤を主題に展開されている物語ではあるものの、そこにある主人公の葛藤はそれこそ少々も字を読む人間になら誰だって経験する問いであろうし、さして珍しくもないだろう。だけれどもこの作品が書かれる以前は少なくともそのことに関して悩んだところでそれを全面的に受け入れてくれる土壌はなかったわけで、それと今の現状を比べたらなんとまぁ悪に染まることに対しての許容性がでてきたもんだなぁとしみじみと感じる。少なくとも現代では青年期に対しての性への衝動を厳罰化するような社会ではなくなってきてるし(もっともアメリカでは純潔教育が再び息を吹き返しているが)倫理観と金を稼ぐという行為は矛盾しているものという社会通念があるくせに(個人的にはそれは矛盾ではないと思うのだけども)金を稼ぐため、名誉がほしいためという理由で仕事をしている人を心から侮蔑する人はいない(表面上はする人はもちろんいるけどね)、ただみんな言葉にしないだけでその感情は絶対にある。というかそんな感情なくて仕事やってる人がいたらそもそもそれは仕事という類ではないと思う。
ここの違いはいったい何なんだろうか、やはりデミアンの中で多大に描かれている宗教の有無の存在なのだろうか、確かに米がいま純潔教育を再び進め始めているのはキリスト教の政治土壌が圧力をかけているからなわけだし、今の現状の日本では宗教観というのは非常にぬるくはなっているし要素のひとつであることは間違いないだろうけどもデミアンの中で最終的に主人公が達しえる境地では決して宗教第一主義ではなかったわけで、どちらかというとコントの人類教に近いし、主人公の踏んだ段階は「美的段階(快楽追求)」「倫理的段階(良心に従う道徳的な生き方)」「宗教的段階(信仰への飛躍)」の三段階目まで言ったのにさらに上の段階に進んだと考えてもいい気がする。結局人間の能力を超えた絶対者を置くかおかないかという違いでしかないけれどもステップとしては宗教の上にくる境地がヘッセの中で意識して描かれてたのが興味深かったりした、ほらデミアンってデーモンから来てるらしいしさ。
あとは後半のはじめに友人との決別のシーンがあるんだけれども、そこの決別のはじめは主人公の軽い一言であり、本人じたいがそのことをひどく悔やむシーンがある。僕の言ったことに強く憤り反論するか、弁明をしてくれればどんなに楽か、なんて感じのシーンなんだけども、これは実生活でも本当によくあるよねえ。結局、時々は言葉でかたるよりも自意識に訴えかける方法が強かったりするってことだけど(有名な例はガンジーか)これをされるとめちゃくちゃ心に刺さる(笑)だけれども普段からこれは使えるテクニックではないし、多用すると嫌われること間違いないからなぁ・・・。難しいところです。
こうゆう文学作品を読んで実生活に役立てようというのがそもそも間違っているとは思うんだけどね、まーくだくだなんでここら辺で終わります。