文字の洪水に溺れながら

人生初心者、でも人生のハードモードぐらいを生き抜きたい人間。

今更なんだけどもハルヒを読んでみた

あぁ、なるほどなるほど。
友達の誰かが文章力はしっかりとあるといっていた意味がわかったよ。
やや癖のある文体だけれども読んでいてそんなに気にはならないし、この頃多めの駄文らノベと違ってそこそこに語彙はしっかりとしているし、しっかりとストーリーを楽しむ段階にまで持っていけたからね。

以後ざっとした感想
日常の中に隠れた非日常なのか、非日常に隠れた日常なのかを考えさせられたのはセカイ系の中でもなかなか興味深かったです。というのもこの作品はセカイ系ラノベの基本方程式であるまずキャラ萌えのイメージを定着→事件発生→解決という形に添ってはいるものの事件発生から解決というストーリングはこの作品だったら本当に最後のちょっとしか扱われていないわけで、普通の作品だとこんなことをするとたいていだれてしまうんですよね。ラノベに展開されている記号化されたキャラは基本的に消費されることが一般として僕は考えているので(東論とか参照)ぶっちゃけた話、どんなに萌え属性をてんこ盛りのキャラを作ったところでもどこかでそのキャラと似たような属性を持っている作品に読者は触れたことがあるわけで、事件が発生するなんていうスリリングなストーリングがそこに加わらないとラノベとしてはあまり読者に魅力的とは移らないと思うんです。基本的に。
でもこの作品はそんなの知るかってぐらいに普通のラノベだったら最初の50ページぐらいで済ましちゃうキャラ紹介とそれを印象付けるためのストーリーを半分以上裂いている、だって一応SFってことになっているのに半分まで一切、そんなことは現実にはありえねーよみたいな感じで描かれてますもん。何でこんなことが可能なんだろうかって考えたときにキャラの魅力的要素が強いのかな?とも考えたんですけど、それはきっと違うなというのが僕の印象で(キャラの強さだけで突っ走る西尾作品と比べてしまったというのもあるけれども)そこはやっぱり日常と非日常はどっちもメインなんだよっていう筆者の巧妙な構成力がページを最後まで捲らしているんじゃないんだろうか、特に主人公のキョンの一人称という形をとって。宇宙人との戦いの後から日常に移るシーンなんて普通だったらありえないけど、キョンの思考で読まされているとまったく違和感を感じ得なかったしね。一人称の使い方をすごく良くわかっている。そういう意味での構成力はすごいよ、この筆者。ちなみにキョンを一人称にすることによって日常と非日常の境界すら曖昧にするという技こそがこの作品を支える核の気もする。どうしてもセカイ系ラノベは日常がセカイの有無にかかわる体裁をとっている以上、日常の萌えだけで構成されている場面とセカイにかかわる若干シリアスな場面の差を作らないといけないんだけれども、今までの作品はそのつなぎが圧倒的に下手、とまでは言わないけれどもありきたりを続けていた。ハルヒは前述したキョン人称によってそこを斬新に打ち破ったのが新鮮さと面白さにつながったのかなぁなんて、そんな感じです。

うっはー、わかりづらいや、読み直してみたけど。
こういうオタク論ってやっぱりある程度の前提知識がないとなに言ってるのか意味不明になっちゃうのが難点だよなぁ。でも、やってるとすごく面白いんだよね、話自体がどこまでもつきぬけてストーリーメインになれるから。物理法則に縛られた土俵で作られる話ももちろん素敵だけど、まったく縛りがないからこそ楽しいって思えることもあるじゃん?
まぁ、そういう意味で少なくともまったく興味がない人でも「2次元の絵とかに何萌えとか言ってんの気持ち悪い」という前にこれだけ奥深い(実際はどうかはしらんけど)と信じている人がいるんだという現実ぐらいで受け止めてくれたらなぁとかは思うんだけど、なかなか難しいよね。

少なくともキャラとラノベの関係とかについてぐらいはもう一回自分の中でも整理つけてエントリ書いてみたいとは思う、わかる人にはわかるんだろうけど昔書いたあれを引っ張り出してくるか(笑)