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文字の洪水に溺れながら

人生初心者、でも人生のハードモードぐらいを生き抜きたい人間。

ルルーシュって実は最初とあまり変わっていないのかもしれない

コードギアス、終わってしまいましたね・・・。
なんだか毎週ワクワクしていたのが一つ終わると寂しさを感じずにいられません。
やっぱり他人から見たらくだらないと思うような事も、今週も頑張って生き続けようと思う一つの理由なわけで、お前はアニメなんかのために生きてるのかよ!って言われそうですが、少なくとも極上のエンターテイメントを見続けたいという感情ぐらいは生きえる理由になりえると思います、消費者の立場に甘んじてしまっている自分は良くないとは思いますが。

とまぁ、前書きはこれぐらいにして最終回で感じた事を一つ
僕はルルーシュが大好きですし、最終回で普通に泣いてしまったし、彼の立場に共感してしまう人間だったんですが、それとは別にルルーシュって最初からあんまり変わっていないんじゃないのか?という思いがあるんです。
大方のネットの見識深い人たちの考えを超大雑把にまとめるとロロやシャーリーといった尊い犠牲を自覚してルルーシュは罪の自覚から「優しい世界」の創造を作る事を目指した、という感じだと思うんです。確かにその考えは22話までは当てはまっていると思います。しかし、23話のナナリーが再登場したあたりから「あれ?いつものルルーシュじゃないか?」と感じてしまうんですよね。
具体的に言うと、復活しているのはどんな犠牲よりもナナリーの事を優先するという癖です。
あれだけナナリーのために頑張ったせいで膨大な犠牲を払い、折角それに気づけたというのにナナリーが出てくるととたんにナナリーのためならどんな犠牲でもという思考に戻っています。
僕がどうしてそう感じたかって言うとラストまで見て思うのは23〜24話ではルルーシュがゼロレクイエムをそこまで積極的に起こそうとしていなかった事(スザクに紛糾されたりとか、最後の戦争は受動的開戦だったりとか)がナナリーのためじゃないかって思えるからなんですよね、ゼロレクイエムを起こしちゃうとナナリーを守る人がいない(と彼は思い込んでます)状況になっちゃうからゼロレクイエムは起こしたくない、という気がしてくる。ここにあるのはナナリー第1主義です。敵がナナリーだから戦えないというのではなくて、勝った後にナナリーが生きていくのに困る世界だと困るから戦えないという解釈を僕はしてしまう。
そしてとどめはナナリーへのギアスをかける直前の言葉
「ナナリー、お前はもう立派に自分の考えで生きている。だからこそ俺も俺の道を進むことが出来る」
自分の考えで生きていける=目も見えてしっかりと一人で生きていけるという安心感=ゼロレクイエムの遂行=ナナリーが生きていける世界の創造
こういう風に考えるとルルーシュは最後までナナリーを思い続けた一人の兄だったんだなぁとしみじみします。世界の敵になりながら結局その理由は妹を守るためだったと。

いや、正直、ナナリー第一主義に戻るのは仕方がないことだとは思うんですよ
R2でルルーシュはひたすらに仲間や一般人や敵を殺してきたし、両親の思いまで否定してきた、そんな彼が唯一の心のよりどころになる動機がナナリーだったわけで、別に彼の行動は自然だと思います。ただここで面白いのは目標とするゼロレクイエムという行動は同じなのに、うまく動機のみを切り替えたなぁというところです、そこは間違いなくスザクが大きな影響を与えたと思うんですけどね、少なくともスザクのほうはレクイエム以外の方法は許さなかったでしょうし。

いやー、でも、なにはともあれこの数ヶ月は本当に楽しかったです。
時間があるときにまたDVDでもかりて見直したい良い作品ですよ。
こんなアニメに生きているうちに出会えて本当に幸せだと思います。