文字の洪水に溺れながら

人生初心者、でも人生のハードモードぐらいを生き抜きたい人間。

無理に文章を書いたらビジネス本=合法ドラッグという結論になった

今学期はいろいろ本も読んで引きこもりもせずそれなりにリアルが充実していたと思うのだが、問題がひとつあって口で発声する以外のアウトプットをほとんど行っていないことだと思う。

文章の書き方を忘れたといっても過言ではない。

やばい、死活問題だ。

思いついたことを書き散らす行為を再びしなくては。

思えば、思春期真っ只中の中学とか高校とかはわき目も振らず、頭の中の言葉をとにかくとにかくつたない文章にして書いては書き、キーボードを打っては打って、結果として量という成果をあげていた。

なんだか今は、完成された文章をかけないとすぐに投げ出している。ここでいう完成されたというのは自分自身で満足できる水準に達成されたということであって、別に世間一般からみてどうこうとかはどうでもいい、ただ、読み手を意識するようになってから僕の筆の速度は死ぬほど遅くなって、そしてなによりも書くことを面倒くさいと思うようになっている気がする。

今は書いていると誰に向かって書いているんだ?という疑問が頭をよぎって、その需要のなさが頭をかすめ、どうせという気持ちに帰着して結局文章にも残せない。昔は絶対そんなことなかった。誰だか知らないけど俺の文章を読んで、少しは面白いと感じてくれる人がいると妄信して文字通り猛進していた。そしてその若さを利用した物量作戦は少なくとも今よりも効果をあげていた気がする。だって、今は何も書いていない、ゼロの状態で誰が反応を返してくれるというのだろう?

俺はまだ21で世間一般的にまだまだ若い。だけれども過去のことができなくなっているという事実を若さという言葉でカテゴライズして今はもうできないと達観した振りをしている。書いていて反吐が出る、俺がもし他人ならちょっとお友達にはなりたくない。まだまだ充分若いはずなんだ、もっといろいろしなくちゃいけない。だが、自分に向けて語りかけるこういう言葉は少しもリアリティをもって俺を動かしてはくれない、なんなんだその精神的イケメンかつ超マッチョな考え方は、自分ひとりでさえ何も残すことのできない自分にそんな思考法が似合うとでも思っているのか?こういう悪魔のささやきがまた、自分の何かをしようとする意思を打ち砕く。

俺がビジネス本がすきなのはこういったどん底な精神状況でも方法論で何とかできるという幻想を抱かせてくれるからに他ならない。それは僕の大好きなペトロニウス師匠がビジネス本はドラッグのようなものと看破していることとまったく同じで、俺はそれに当てはまっている。成功体験をイメージさせてくれるという本を繰り返し読み漁って、自分がさも成功しているように錯覚して満足している。だが、ここから抜け出す方法はすぐに浮かばない、いや、ひとつ、実際に行動して、リアルの成功体験を勝ち取ることだと浮かびはするけど、それを実現している自分の姿をイメージできない。今気づいたがこれはひどく皮肉なことだ。リアルで成功することはイメージできないというのに、ビジネス本を読んでイメージとして成功していることはイメージできている。つまり、ビジネス本で成功イメージを抱けるときはそれはイメージと前提で納得しているようなのだ。そしてそれはつまるところ、本のように成功が舞い込むことはほとんどない。

もし、この文章を読んでビジネス本、成功本を読んで意気揚々としている人がいたら気をつけてほしい。こんな俺みたいな状態になっていないだろうか。こんなおろかな道化が俺だけであることを心から願う。