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文字の洪水に溺れながら

人生初心者、でも人生のハードモードぐらいを生き抜きたい人間。

後輩に、簡単にまとめると自分を偽って接するのが疲れますという相談を受けて色々と話をしてきた。

自分を偽ると書くと言葉が悪いけれども、僕はこれはある程度必要だと思うのだけれど他の人はどう感じるんだろう。人があるコミュニティに属すと決めて、そこで新人であるならば、まず最初は自分を殺してでもそのコミュニティの色に馴染むために自分を偽らなくてはならないと思う。もし、それが嫌ならば自分からコミュニティを立ち上げればいい話だけれども、それだってコミュニティである限り最初の成員を獲得するためにはお互いの馴染む期間が必要なわけで、そこだって作っている自分が存在する期間がきっとあると思う。

彼は、彼自身が素のままの自分を完全に受け止めてくれる組織を欲していた。だけどもそれは理想郷でしかなくて、必ずコミュニケーションの建前の期間はあるんだと僕は諭したのだけれども、正直な話、自分でも自分が嫌な人間だなと感じた。たぶん、内容のすばらしさだけで言えば彼のほうが正しい。『全員が最初から本音でぶつかって、そしてその本音の自分を受け入れて欲しい』彼は人一倍純粋なだけだ。僕は心の中では間違っていると言い切れる自信がない。僕は『人には自分を偽ってでも相手に合わせた後じゃないと相手が受け入れてくれる土壌はできない』と言っている。間違っていることを言っているつもりはないがどこか利己的な匂いがして言い切ってしまうことにためらいも感じてしまう。

でも日本では村社会だからだろう、やっぱり、最初から本音でぶつかってという事は禁じ手であって、それをやった者はある程度の疎外を受けるんじゃないだろうか。彼の場合はそれが原因でコミュニケーションが苦手になっていたわけだし。

本音でぶつかるための建前の期間、部活やサークルという参加希望のメンバーを断ることのできない組織としてはこの建前の期間の問題は非常に難しい問題に値する。短ければ短いだけ幹部としては意思共有のためには有効だけれども、もしそれが一人だけで起きてしまうと、メンバーの中での村八分という問題がおきてしまう。

言ってることがいかに本音で正しくても相手が聞こうという姿勢をしてくれていないと、その言葉はプラスにはならない。そしてその相手が聞こうという姿勢をセッティングするのは聞かせる側の責任だと思う。彼の場合そのセッティングが物凄く下手なわけで、だからこそ自分を偽って接するのが疲れるなんて言っちゃうんだろうな。

相手を動かしたかったら頭ごなしに言うんじゃ駄目だよ、それが同期や先輩ならなおさら。
一度相手と同じフィールドにたって相手と楽しみを共有してからじゃないと人なんて動かせない。

これからの彼が偽りに疲れて逃げるのではなく、偽ることで相手と同じ立場に立って、相手に喜びを与えて、そうして偽ることにも喜びを感じれるようになる(だってそうなるのが友情が育まれるって事でしょ?)といいのだけれども。