文字の洪水に溺れながら

人生初心者、でも人生のハードモードぐらいを生き抜きたい人間。

「物語の楽しみ方」の紹介

「1990年代から2010年代までの物語類型の変遷〜「本当の自分」が承認されない自意識の脆弱さを抱えて、どこまでも「逃げていく」というのはどういうことなのか?」


この記事は素晴らしいです。長いですけど是非一読されるのをお勧めします。
どうしてもこんな長いの読んでられない!って人は宮崎さんのお話が出てくるぐらいまででも良いので読んでみてください。ペトロニウスさんの(多分)最も言いたい事がでてきます。

「一つの視点から様々なジャンルに共通するモノを」取りだして楽しむ方法を紹介する

ブクマ見てみたら、長いとか言いたい事がわかりづらいとか書かれてましたが、本当に読んで物事を言っているのかと激しく憤ってます。あのね、


今回は、僕が日常でしている「テーマを追ってさまざまなマテリアルを見る」という作法のうちの一つを取り上げてみたいと思います。「本当の自分」と「役割の自分」という二元対立から生まれる物語のドラマツゥルギーの類型が、より深いもっと根源的な「マターナルなモノ(=母なるもの)の拒絶と脱出」という物語の大きなテーマと繋がっている様を、さまざまな具体的な例をあげて説明してみます。それぞれに全く違うジャンルですが、とりあえずは勉強のつもりで、僕があげてみたテーマを軸に、連続で体感してみてください。きっと今までに「目に目なかったもの」が見えるような瞬間が訪れるかもしれません。


って序盤で書いてるじゃないですか。ペトロニウスさんが言ってるのは、全く関連のないような作品も、ある共通のテーマによって繋がっているという、その繋がりの発見という知的欲求を満たす楽しみ方の紹介なわけです。んで、言ってしまえば後半はその実例を紹介してくれてるです、で、僕が大事だと思ってるのはその実例というよりも(いや、もちろんその実例が実際にペトロニウスさんが興味のあるテーマだけあって凄い楽しいですが、特に書かれているポストモダン後の人間の行き詰まりの変遷を俯瞰できる内容は最高に楽しいです、ので最後まで読めって言ってるんですけどね)ペトロニウスさんが物語の新しい楽しみ方を提供してくれているってことなんです。

簡単に言うとですね、ペトロニウスさんのブログを読むと、物語を分析する楽しみっていうのが身に付くんですよ。僕は物語三昧に出会うまでは物語の楽しみ方はそれを読んで、うわーこれ読んで感動するなーとかわくわくするなーとかおもしれーとか、まぁ、言ってしまえば、それだけだったわけなんです。でも、ブログを読み始めて物語が現実とどうコミットするかとか、物語が他の物語とどう関わり合っているのかとかそういう事まで考えれるようになると、その物語が物語の中だけで完結する事がなくなったんですね。で、これが凄い楽しい。やっぱり物語がそれだけで閉じててそれで完結すると、その読書体験は楽しいけれど、実際にそれは継続しないわけですよ、でも、この物語の背景とか、共通のテーマとかがわかるようになると、その作品がいつまでもいつまでもスルメのように味わえるんです。立体的な読み方とでも言うのかな。まぁ、もちろんこの立体的な読み方を強制するわけではないってペトロニウスさんも言ってますけど、僕はこの読み方が、イノベーションだったわけです。で、それを広めれる素晴らしいエントリを書いてくださったのでそれに便乗してるわけです(笑)

この読み方ができるようになると(と、偉そうに書いてるけど僕もまだまだですけれども)物語というのをより深く楽しめるようになると思うんですよね。少なくとも僕はそうだった。だから、まぁ、時間がある人は、いやない人も是非読んでみてください。

あ、あと分かりづらかったらこの記事も同時に読むと理解が進むと思います。



テーマを持って本を読むこと〜断片のエピソードが媒体や物語を超えて大きく連関していくことの喜び

「書を捨て街へ出よう」という言葉は、真意はともかくとして、僕は大っきらい。「書をもって街へ出よう!」というべきだと僕は思います。

格好いいぜ!
これをさらりと言えるバランス力が大好きです。