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文字の洪水に溺れながら

人生初心者、でも人生のハードモードぐらいを生き抜きたい人間。

駄目さを指摘するぐらいなら解決法を示せ、解決法を示すぐらいなら解決してみせろ

言いたいことは題名そのままです。
将来の自分がくじけそうになったときの為に書いておきます。

解決できる人になれ

駄目だと否定するのは誰でもできます。
駄目さの原因を指摘するのも割合多くの人ができます。
問題の解決方法を提示できる人もある程度はいます。
でも、解決することができる人はほとんどいません。

貴方は解決する事ができる人になってください。

貴方が気づいた問題は貴方が解決しよう

周りには問題だと気づかない、感じない人もいます。
周りには問題だと感じていても、解決するほどではないと考える人もいます。
周りには問題だと感じていても、見て見ぬ振りをする人もいます。
周りには問題だと感じて、努力をしたのだけど諦めてしまった人もいます。
周りには問題だと感じていて、必死に努力している人もいます。

問題の周りにはいろいろな人がいますが、
貴方が本当に問題だと思うのなら、貴方がその問題を解決すべきです。
それが最も確実で、最も後悔が残らない方法です。


問題だけ暴いて、満足するような人になるのだけはやめなさい。
問題だけ暴いて、他人任せにするような人になるのはやめなさい。
問題を暴き解決法を考えて、それを人任せにするのもやめなさい。

駄目さを指摘するぐらいなら解決法を示しましょう。
解決法を示すぐらいなら、最後まで責任を持って解決してください。

そんな人に貴方はなって欲しいと思います。

自分が解決にコミットできない問題を指摘するべきか?


以降はいつもの文体で、まだ自分の中で判断がついていないこと記します。

『解決する気が無いのに問題を指摘する』、これは、パラフレーズすれば、『リソースの問題で解決にコミットメントをできないけれども問題を指摘する事はできる人』という考え方もできます。簡単に言えば『自分が解決にコミットできない問題を指摘するべきか』ということです。

こういった立場は、正直、どう考えればいいのか迷っています。
もちろん単純な二元論では語れないとは思うけど、自分の中で良く出くわす立場ではあるのでもう少し考えておくべきことだとも思います。問題解決法を指摘することが問題解決に対してのコミットしていると言えるし、外からの野次と言おうと思えば言うことも可能でしょう。

今の段階の私の判断は、問題解決の方法を提案すること自体は褒められるべき(もしくは毒にも薬にもならない)ことだけれども、その問題解決にコミットしていない人を批判するのは筋違いではないかという結論です。

言い換えれば『fact(事実)を指摘するのは構わないが、主体者を批判するな』ということですね。なぜなら、解決にコミットしていないのは、指摘だけしている自分と同じ立場だからという理由です。

文句ばかり言っているのは論外ですが、善意で問題解決の手段を示したりすると、悲しいことに、その通りに行かないことに腹を立ててしまう人がいます。要らぬおせっかい状態というやつです。

問題解決の提案は、実行しなければただの案に過ぎないことを忘れてはいけないでしょう。先ほど記述しましたが、実行されない解決策は毒にも薬にもならない単なる意見です。それを前提として他人を批判するのは砂上の楼閣にすぎません。本来、解決案に最もコミットすべき人は提案者であるべきなのです。

とまぁ、偉そうに書きましたが、最初に書いたとおり、私自身まだ確定的な意見ではありません。また、自らの行動として実行できているわけではありません。

早く自らの発言に責任を持てる人になりたいものですね。