書くこと、読むこと、考える事
突然の復帰
2年ぶりにブログを書く。 理由はわからない。新年だし、この2年も色々とあったし、一度整理したいと思ったのかもしれない。 とにかく文章を書きたくなった。理由はいくらでも書けるけど、ただ書きたくなっただけだ。
この2年であったこと
結婚した、転職した、遊んだ、話した、実行した。 読んだ、旅行した、書いた、作った、苦しんだ。 もう色々とありすぎて1つの記事にするのが恐れ多い。 折を見て一つ一つの事実を丁寧に紐どいていきたい。 本当に日々記録しておかないと2年という期間はあまりに長すぎる。
それにしてもこの2年で歳を取ったと実感する。 大学生の時のあのハングリーさ、何でも出来るという全能感、 こんなはずではないというルサンチマンさは最近とても薄くなってきている。 やはり、まだ27にも関わらず守りに生き過ぎている。 人生ハードモードに挑戦したいという誓いはどこに行ってしまったのか。
2016年に心がけたい在り方
これはタイトルのとおりだ。 今年は 書くこと、読むこと、考える事 が心がけたい在り方としよう。 ちなみに去年は 話すこと、実行すること、遊ぶことが結果的な在り方だった。 webが情報源であるかぎり仕方ないが、去年は雑多な情報で享楽を得すぎた。 もう一度ハードに自分を追い詰めて骨太な芯の構築を試みる必要があるだろう。
書くこと
文章力が落ちた。人に魅力的と思わせる文章力が明確に落ちた。 特に長文の文章力の低下が著しい。 当たり前といえば当たり前か。 書くことは仕様書という名詞の羅列か、メールの定型文ぐらいで、 プレゼン資料も文章力ではなくキャッチコピーでのりきっているのだから。 目標は立てないが、昔みたいに思考をそのまま書き記して、 少しづつ書くことに対してリハビリをしていかないと。読むこと
情報は摂取している。しかし、摂取している情報が良くない。 去年読みきった書籍はいったい何冊だ? 片手で足りるのではないだろうか。 時間は2年前と比べて明らかに増えたのにこの体たらくは酷い。 書を読むことの楽しみを忘れてしまったようだ。 読むことは楽しいという事実をもう一度思い出さないと。考える事
ここは上2つと比べて難しい。 何故なら考えることよりも実行する方が効率的だと理解したからだ。 実行してFBを得ながら軌道修正する方が圧倒的に物事は上手く進む。 取らぬ狸の皮算用という言葉は思った以上に至言だ。 その意味で考える事は去年も日々していた気がする。 ただし、足りないと感じている考えることはもう少し違う。 腑に落とすほど考える、昔好きだった思考・論理・分析でいうところの 理解し切るため考えるこれが足りていない。 自分の脳の血肉とする感覚をもう一度味わいたい。 この飢餓感が考えるという行為の意味に含まれている。
とりあえず一旦こんなところで切り上げよう。 さて今年はどんな年になるのだろうか。