文字の洪水に溺れながら

人生初心者、でも人生のハードモードぐらいを生き抜きたい人間。

読書メモ【やり抜く力 GRIT(グリット)】

やり抜く力とは、何を指すのか。

誰だって、人は成功したい。目標を叶えて、賞賛を得て、生きている意味を感じたい。 だけども多くの人はそこの道に達成することは難しいと考えているし、実際にできていない(と感じている人は多い)。

本書はそこの原因を、才能や能力ではなく、 「やり抜く力 GRIT」という抽象的なコンセプトで解明しようとしている。 GRITはギリギリという擬音語から来ている「不屈の精神、気骨」といった言葉だ。

成功者はすべからくこの能力を所持しており、 目標の達成=(才能×努力)×努力 であるため、努力を行い続ける力(GRIT)が重要だと主張している。

心理学特有の明快ではない事例ベース

正直言って本書は事例ベース集でエピソードの集合体なので、 だから何なの?という論旨を明確に語れる本ではまだ無い。 ・成功者は才能のウエイトは思ったよりも少ないということを指摘する章 ・GRITという力は後天的に育成がきく力であると指摘する章 ・GRITという力を育成するためには、(仮設ベース)ではあるが、鍛える方法があると指摘する章 ・GRITを早期から開発する環境について指摘する章 で別れており、GRITとは明確に何なのかを定義している章は少ないし、 やや、意図的に合う事例だけ編纂している印象も受けてしまう。 そのため、論旨を批評するスタンスで読み込むのではなく、そういった物があると仮定してしまい、 必要に応じてその章を読んでしまう方が理解が進む本だった。ココらへんは好みが別れる場所だと感じた。

やり抜く力は情熱によって獲得するが、それは熱中する力ではない

本書の中で、面白かったのは成功者の情熱の定義の部分。 情熱とは「一つのことにじっくりと長い間取り組む姿勢」であり、 短期的にどれだけ熱中できるかということではない。という指摘はなかなか興味深かった。 というのも、好きであるが冷めるのも早いというのは、 大成しない条件であり、「好きなことを行いなさい」というアドバイスは、 「好きなことであれば、行い続けなさい」というアドバイスにしなければ、 意味が無いと示唆してくれているからだ。

無力感や、達成できるという自己肯定感は、「学習」するものである

もう一つ、興味深ったのは上記の「無力感は学習する」ものであり、 同様に「自己肯定感も学習するもの」である、ということだ。 そして、その学習こそがGRITを鍛える鍵であると筆者は指摘している。 確かに、職業柄いろいろな人とのキャリア相談に乗るのだが、 キャリア相談はその瞬間瞬間の相手の結果論しか見ることができないので、 こういった視点で捉えられるとアドバイスの質も変わっていくだろうとは有益な学びであった。

信奉しすぎる必要はないが、続ける重要性は認識したほうが良い。

どの自己啓発本にも書かれている、継続や習慣が善という概念を、 やや理論的に説明しているとも言えるので、ここらへんは今更何を…な人もいると思う。 ただし、どの本でも言っていることはそれだけ重要な概念ではあるので、 改めて身につけていかなければと考えられるのであればおすすめ。

ちなみに本書の中でのGRIT力を測る数値は、私は偏差値34のところという 信じられないくらい低い数値であったことは最後に記しておく。

以下、個人のメモ書きです。

Grit = 不屈の精神、気骨

才能×努力=スキル スキル×努力=達成 ⇒ 才能×努力×努力=達成

情熱≠熱中、夢中 情熱=「一つのことにじっくりと長い間取り組む姿勢」

人生哲学、価値観が情熱を作成する

中位と下位の目標だけで「最上位の目標がない」

何を哲学とするかの自己への問「企業という組織体が誇れる組織へと創り上げること」

興味は内省によって発見するものではなく、外の世界と交流するなかで生まれる

興味の次のフェイズは、「意図的な練習」(deliberate practice) 1.ある一点に絞って、ストレッチ目標[高めの目標]を設定する 2.しっかりと集中して、努力を惜しまずに、ストレッチ目標の達成を目指す 3.改善すべき点がわかったあとは、うまくできるまで何度でも繰り返し練習する

困難な目標設定と、それに挑戦し、クリアすることを楽しみとする そして、その練習過程を習慣としている。

どの職業でも「天職」と感じている人の割合は変わらない 「天職との出会いは、完成したものを見つけることではありません。受身の姿勢ではなく、自分から積極的に行動することが大事です。」

自己中心的な動機と利他的な動機は両極端ではなく、両立が行える概念である。 人のためだけでは続かず、自分が興味があるからという思いがセットになって継続性を生み出す

無力感は学習によって習得してしまう要素である。

GRITを育てたければ、要求を厳しく、支援を惜しまない育て方を行おう

無理という思い込みがなくなる体験を持つ

やり抜く力の強い集団の一員になる

2017年に読んだ感銘本1

明らかに学生の時と比べて読む量が減っているのだけど、去年で読んだ本を備忘録的に書き残しておきます。

水滸伝

大学時代の積み本、全19巻を長期休暇もらえた時に貪るように読んだ。志とは何か、何のために生きるのか。平々凡々な生き方をしているからこそ胸を衝く。何度涙したかわからない。生ききることの大変さと、生ききることの不条理さ、そして生ききることの意味の見出し方を教えてくれた。と、同時に志のためと、一人の愛する人のため、そして人間としての欲との戦いの葛藤も強く心に残る。読むのにはパワーがいるけれども、一生のうちに読めてよかった本であることは間違いないと思う。

HARD THINGS

これは読んでいて実体験が辛かった最中なので励みというか、この苦しい道は間違いではないんだ、という思いを抱かせてもらった本だった。起業やスタートアップは成功者や、成功者に見せかけている人しか表に出ないから、実際の辛さを追体験できるのは本当に貴重だった。信頼できると思っていた人が、徹夜明けで作って来た成果物につばを吐くように(と愛着がある成果物であればあるほど感じてしまうものだ)ダメ出しをされる経験をどう受け止めるべきなのか、そういった極限状態であっても、成果に執着するためにはどういう心持ちでいるべきなのかは、実のところ殆ど誰も教えてくれない。そういった体験は成功のためには、多かれ少なかれ体験するものだという示唆は何度救ってくれたかわからない。

国のために死ねるか

私はあまり政治的宗派は持っていない人間で、右とか左とか、その歴史的経緯も知らなければ本質的価値観も不勉強の中でスタンスを取ることはできないなという立場なんですが、ただどんな立場であっても「真摯」である人の意見には耳を傾けていたいたいし、応援はしたいなと思う人間です。その意味でこの本はとても、とても真摯に、普段の日本人が漫然と考えることを放棄した問に真正面から向き合っている本でした。日本という国を誇りたいし、守りたいという気持ちと、その日本という国は誇れるだけの価値や守るべきものが本当にあるのか、答えなんて無いことはわかっているのに愚直に軍人として向き合うその姿は、やはり自分を恥じるという気持ちを思い起こさせてくれました。こうすべきだ、なんて主張は全く無いのに、こうした方がいいのかなと内省を促すという意味で、水滸伝で出てきた替天行道の現代版に近いのかもしれないですね。

いったんこの3冊を記録に残します。 残りはまた別に記します。

苦しんだ年を振り返る

もはや年記になっているこのブログを更新しようと思う。年始ということで未来の自分のために去年の自分の総括などをつらつらと書き記せればと思っている。

苦しんだ2017年、希望を見出したい2018年

振り返ってみると2017年は何事も初めてのことが多く、全く先が読めず、辛いことも多く、決して楽ではない1年間だった。振り返ってみて間違いなく人生のターニングポイントとなる1年ではあるが、それがプラスといえるのか、マイナスといえるのかは未だによくわかっていない。多分、感覚値としてはその正解がわかるのが来年の30を超えた頃かと思っている。去年や今年は、自分の選択肢が正解だったと言えるように必死に物事を前に進めているだろうという、暗澹として、けれども一縷の希望を感じる予感が年明けのこのタイミングからしている。

やはりすべての大きな変化を生み出したのは転職だろう。前職まではとても気持ちのよい人たちに囲まれ、いわゆる平和なサラリーマンという環境から、自分としても20代の最後ということで感じることもあり、リスクを取りに行き経営者に至る道という選択を取った。あまり多くを語ることはできないが、そのリスクを取るのはチャンスと感じたし、そのチャンスを物にできるかどうかは、外部要因よりも自分が耐えられるか否かで決まるチャンスだと感じたのだ。結果として、半死になりながらも、まだ自分は立っているし、耐えている。そしてリターンは少しづつ近づいてきているし、今のうちは賭けに勝ちつつある。だが、油断はもちろんできない。徐々に勝ってきたから完勝できるようなフィールドではないから、今日からまた勝つために立ち続けなくてはいけない。

生き残るために変わる

そう今年一年で自分の立場は大きく変わった。 働く組織のフェーズも変わったし、自分の求められているスキルセットやマインドセットも変わったし、時間の使い方も変わった。もっとも、正確に言うと変わらざるを得なかった。大学の頃にはあれだけ戦略論だ、意思決定論だと、思考の力で戦おうとしていたが、ビジネスの場はもっと泥臭く、論を語る前に何を結果として残せるのかしか意味をなさないし、内部にもそれを求めざるを得なかった。意識的に変わっていくような悠長な猶予はなく、そうせざるを得ないから、自分は変わっていっただけだ。まさか仕事をしながら生存することは適応することだとダーウィン論を実感するとは思わなかった。

だから、変わらざるを得ないから変わっただけで、それが正解なのかは未だにわからない。ライフハックみたいな学んだ点を書き残そうとしても、それは所詮生存バイアスでしかないことは自分がいちばんわかってしまう。しかし、それを書き残すぐらいしか、今の自分にコンテンツがないのは、とても皮肉的である。とはいえ、きっと数年後にこの文章は自分を救うであろう文になるはずだという、よくわからない確信めいたものもあるので、去年で得られた感覚を3つほど文章として残していければと思う。なお、以下の内容はあくまでもスタートアップで、なおかつ事業運営という立場での学びであって、他の立場では全く役には立たないことは先に記しておく。

答えがない世界でどう戦うのか

答えが無いときは、中期の計画を立ててはいけない。少しでも長い計画は無駄になる、計画を立てると外部環境由来ではなく、勝手に自分で立てた計画という縛りにとらわれてしまう。とにかく動いて正解と思わしきものを作り、そうして初めて計画を立てて意味が出てくる。机上の空論でガントチャートを作るくらいなら、直ぐにできる泥臭い施策を10回手作業で回したほうが、中期的に見たときのリターンはずっと大きい。成果にコミットするというのは、立てた計画を忠実に実行することではないのだ。計画が間違っていて、実行は仕切ったが成果が出なかったとき、そこに残るのは自己満足にすぎない。「事前に確認をしたこの計画通りにしたのですが、なかなか成果が上がりませんでした…。」というのは「あなたが同意した計画通りに行いました、でも結果は残りませんでした」という言葉をオブラートに包んだ表現だ。計画通りにすすめることは保身でしかない。保身の先は、仕方なかったよねという諦念と、クライアントからの期待値の低下と、事業価値の低下を意味する。成長はすべてを癒すというが、答えがない中で成長を遂げるには、計画的な成長ではなく、偶然でも何でもいいから事業の成長につながる行動を行うべきだ。

一定水準の行動を取り続ける価値

組織の戦いや、クライアントがある戦いは、一発で勝とうとしてはいけない。この世界に逆転なんてことは殆どない、逆転はフィクションでしかない。先に勝てる方法をやり「続けていた」やつが勝つ。非常にシンプルだ。だから、一発勝利をとれたという感覚があったら、どんなにきつくてもそこを行い続けることが重要だ。一貫性や継続性は事業を前にすすめるための重要な武器になる。面倒くさいことをやり続けることが、勝手にライバルが消えて生き残り、結果として成功を遂げているための方法なのだと自覚することが、この1年だけでも何度もあった。面倒くさいことが価値だとわかったらラッキーだ。あとはそれを楽にする方法だけ考えればいい。前の話にも通じるが、勝つ方法はきれいな戦略ではない、泥臭く面倒くさいが他の人が続けられないことを愚直に行うことで価値を取り、そこから楽にする方法を考えるんだ。

限界をどこで見極めるのか

肉体的な限界と、精神的な限界、そして自分の弱みを正しく理解することがすごく大事だと自覚した。どうやったってこのフィールドで戦うからにはストレスから逃れることはできない。そうしたときに、どこまでなら耐えられて、どこまでなら耐えられないのかをジャッジできるのは自分しかいない。そして予防できるのも自分しかいない。自分が倒れたらすべてがたちいかなくなるというヒロイックな感情は、ある種、無謀な状況では重要なカンフル剤となる。だから、それを否定はしない。ただそれだけで走り続けられる時間はそこまで長くもない。自分の状態と、ステークホルダーの感情は分離して考えられる余裕がなくなると、待っているのは不毛な消耗戦にしかならない。自分でブレーキを掛けられるようにすべきだし、自分でストレスの解消方法は何パターンか用意しておくべきだと思う。

そういえば、こうして久々に自分の思いを外に吐き出し、思いの外、書けることや書きたいことが多く自分でも驚いている。昔から文章に記すことで自分のあり方を見つめ直すような人間だったと数年ぶりに気がついたのも、また面白いといえば面白い。

さて、今年も最後まで立ち続けて、見たことのない地点を見えるようになりたいものだ。

組織の中で評価されるコストパフォーマンスの良い課題

本記載の目的

MBOシートを書かなくてはいけなくなったので、 とりあえず頭の整理がてら何を課題とすべきかの 決定思考のポイントを一旦文章として整理する。

概要

コストパフォーマンスが良い課題は 「課題として顕在的で、解決が難しいと考えられていて、解決が簡単なもの」 「課題として潜在的で、解決が簡単なもの」 である。

詳細

組織で良い評価を出すために重要なものは課題だ。 知っての通り定常業務を回していても良い評価は出ない ※余談だが、成果と評価を混同してはならない。  今回はあくまでも評価を上げるためのテクニック論で、  組織に真に貢献する成果を目指すなら効果という観点が加わる。

課題には何個かパターンがある。

パターン分けをする観点は

 ・顕在的/潜在的

 ・一般的な困難度の感覚値

 ・事実としての困難度

つまり列記すると

1.課題として顕在的で、解決が難しいと考えられていて、解決が簡単なもの

2.課題として顕在的で、解決が難しいと考えられていて、解決が難しいもの

3.課題として顕在的で、解決は難しくないと考えられて、解決が簡単なもの

4.課題として顕在的で、解決は難しくないと考えられて、解決が難しいもの

5.課題として潜在的で、解決が簡単なもの

6.課題として潜在的で、解決が難しいもの

となる。

この中で評価値が高くなる順で記載すると

1=2≧5=6≧3=4

※属す組織によって5=6の場所は異なりえる。

更に問題の解決にかけるコストは2より1の方が少なくて済むし、 同様に事実としての解決難易度から4より3、6より5であると考えられる。

以上からコストパフォーマンスの良い順を定義すると 1≧5>2≧6>3>4

つまり

1.課題として顕在的で、解決が難しいと考えられていて、解決が簡単なもの

5.課題として潜在的で、解決が簡単なもの

2.課題として顕在的で、解決が難しいと考えられていて、解決が難しいもの

6.課題として潜在的で、解決が難しいもの

3.課題として顕在的で、解決は難しくないと考えられて、解決が簡単なもの

4.課題として顕在的で、解決は難しくないと考えられて、解決が難しいもの

となる。

ここでポイントとなるのは2つ。

1つめ:5の、課題として潜在的であるものは、アピール次第で1にも3にも転ぶ可能性がある。そのためオープンの仕方は気をつける。
2つめ:3に飛びつかない。解決が簡単だからといって飛びついても、そんなことより本業しろの流れに陥る。

自分自身の特性としては、あとは自分にとってその課題が真に課題であると腹落ちすることが必須だと思うが、 それはコストパフォーマンスが良いかどうかとは別の観点なのでまたの機会に記載する。

書くこと、読むこと、考える事

突然の復帰

2年ぶりにブログを書く。 理由はわからない。新年だし、この2年も色々とあったし、一度整理したいと思ったのかもしれない。 とにかく文章を書きたくなった。理由はいくらでも書けるけど、ただ書きたくなっただけだ。

この2年であったこと

結婚した、転職した、遊んだ、話した、実行した。 読んだ、旅行した、書いた、作った、苦しんだ。 もう色々とありすぎて1つの記事にするのが恐れ多い。 折を見て一つ一つの事実を丁寧に紐どいていきたい。 本当に日々記録しておかないと2年という期間はあまりに長すぎる。

それにしてもこの2年で歳を取ったと実感する。 大学生の時のあのハングリーさ、何でも出来るという全能感、 こんなはずではないというルサンチマンさは最近とても薄くなってきている。 やはり、まだ27にも関わらず守りに生き過ぎている。 人生ハードモードに挑戦したいという誓いはどこに行ってしまったのか。

2016年に心がけたい在り方

これはタイトルのとおりだ。 今年は 書くこと、読むこと、考える事 が心がけたい在り方としよう。 ちなみに去年は 話すこと、実行すること、遊ぶことが結果的な在り方だった。 webが情報源であるかぎり仕方ないが、去年は雑多な情報で享楽を得すぎた。 もう一度ハードに自分を追い詰めて骨太な芯の構築を試みる必要があるだろう。

  • 書くこと
    文章力が落ちた。人に魅力的と思わせる文章力が明確に落ちた。 特に長文の文章力の低下が著しい。 当たり前といえば当たり前か。 書くことは仕様書という名詞の羅列か、メールの定型文ぐらいで、 プレゼン資料も文章力ではなくキャッチコピーでのりきっているのだから。 目標は立てないが、昔みたいに思考をそのまま書き記して、 少しづつ書くことに対してリハビリをしていかないと。

  • 読むこと
    情報は摂取している。しかし、摂取している情報が良くない。 去年読みきった書籍はいったい何冊だ? 片手で足りるのではないだろうか。 時間は2年前と比べて明らかに増えたのにこの体たらくは酷い。 書を読むことの楽しみを忘れてしまったようだ。 読むことは楽しいという事実をもう一度思い出さないと。

  • 考える事
    ここは上2つと比べて難しい。 何故なら考えることよりも実行する方が効率的だと理解したからだ。 実行してFBを得ながら軌道修正する方が圧倒的に物事は上手く進む。 取らぬ狸の皮算用という言葉は思った以上に至言だ。 その意味で考える事は去年も日々していた気がする。 ただし、足りないと感じている考えることはもう少し違う。 腑に落とすほど考える、昔好きだった思考・論理・分析でいうところの 理解し切るため考えるこれが足りていない。 自分の脳の血肉とする感覚をもう一度味わいたい。 この飢餓感が考えるという行為の意味に含まれている。

とりあえず一旦こんなところで切り上げよう。 さて今年はどんな年になるのだろうか。

Java:StringUtilsのsplit関数を使う際に気をつけること

この間コードを書いていたら発生した勘違いを忘れないうちにメモしておきます。
簡単にいえば、splitのseparatorは複数文字は対応していないという事です。

import org.apache.commons.lang.StringUtils;

public class Split {

	public static void main(String[] args) {
		String tagert  = "ABCDEFG.ABCDEFG";
		String separator  = "FG.";
		

     System.out.println(”split利用時”);
		String[] argFromSeparator = StringUtils.split(tagert, separator);
		for (int i = 0; i < argFromSeparator.length; i++) {
			System.out.println(argFromSeparator[i]);
		}

     System.out.println(”splitByWholeSeparator利用時”);
		String[] argFromWholeSeparator = StringUtils.splitByWholeSeparator(tagert,separator);
		for (int i = 0; i < argFromWholeSeparator.length; i++) {
			System.out.println(argFromWholeSeparator[i]);
		}

	}

}

このコードの実行結果は以下のとおりです。

split利用時
ABCDE
ABCDE
splitByWholeSeparator利用時
ABCDE
ABCDEFG

splitの方は判定をcharで行うので、2つ目のFGまで切断子として認識され消えます。
一方のsplitByWholeSeparatorの方は、2つ目のFGは切断子としては認識されないため残ります。

問題なのはsplitで渡せる引数がStringなので
複数文字列を渡してもコンパイルができちゃうことです。
僕はsplitByWholeSeparatorの存在を知らなかったので、
下手な勘違いをして問題解明に思った以上の時間を使ってしまいました。

結論としては
「Utilを使うなら中のコードまでしっかり追いましょう」
という当たり前の事でした。

勘違い怖い。

Google App Engine をEclipseに何とか導入するの巻

最近、mac環境でずっとEclipseへの
Google App Engine導入に苦しんでたのだけど
やっとこさ成功したので記念メモ。

Eclipseへの導入はいっぱい参考資料があった
https://developers.google.com/eclipse/docs/download
https://developers.google.com/appengine/docs/java/tools/eclipse?hl=ja
http://www.mkyong.com/google-app-engine/google-app-engine-hello-world-example-using-eclipse/
その他日本語解説ページも多数

ちなみにEclipse4.2(juno)への導入の公式ドキュメントは
日本語はありませんが英語のドキュメントには存在しています。
https://developers.google.com/eclipse/docs/download

これら通りに行なって僕もGAE(GoogleAppEngine)を動かしてみるぞ−と息巻いていました。
最初は・・・。

困ってた症状:サンプルコードなのに動かない!?

ここから実際にプラグインを導入してサンプルプロジェクトを
立てるだけなのにビルドに失敗するという謎現象に苦しむことになります。

Exception in thread "main" java.lang.NoClassDefFoundError: com/google/appengine/tools/enhancer/Enhance
Caused by: java.lang.ClassNotFoundException: com.google.appengine.tools.enhancer.Enhance
	at java.net.URLClassLoader$1.run(URLClassLoader.java:202)
	at java.security.AccessController.doPrivileged(Native Method)
	at java.net.URLClassLoader.findClass(URLClassLoader.java:190)
	at java.lang.ClassLoader.loadClass(ClassLoader.java:306)
	at sun.misc.Launcher$AppClassLoader.loadClass(Launcher.java:301)
	at java.lang.ClassLoader.loadClass(ClassLoader.java:247)

過程は端折りますが色々とさまよい歩き、
結局、JRE環境変数がおかしいのではないかというあたりが付きました。

自分のmacは何のjre参照しているんだ!?

ひとまず自分のMacが利用しているjreのバージョンをチェックするためにコンソールで

java -version
javac -version 

を行なってみると"1.7.0_21"と表示されています。

しかし、問題はEclipseはどうやら別のjreを参照してしまっているらしいこと
プロジェクト右クリックからのビルドパス
MacOS DefaultのSytemJREをダブルクリック
>EditLibraryからAlternateJREの右側のInstalledPath
>PreferenceにてJVMcontentsのEdit
によって1.6系のJREを参照してしまっていることがわかりました。

つまりMac事態のJREEclipseMacOS DefaultのSytemJREが違うものになっていた事が問題だったようです。

(後々調べてみると、HD直下のライブラリの中のJAVAディレクトリと
 HD直下のシステム下のライブラリの中のJAVAディレクトリと2つ有ることが発覚しました。)

Eclipseの読み込み時の環境変数を書き換えよう

ということでEclipseの読み込み時の環境変数を書き換えることにしました。
http://d.hatena.ne.jp/MonteCut/20111121/1321885785
を参考にしつつ、読み込み時の環境変数も1.7.0_21(最新版)の方にPATHを通します。

この時はまったのが以下の表記
アプリケーション>ユーティリティ>Java Preferences

調べてみるとJava for OS X 2012-006から無くなったようです・・・。
https://discussionsjapan.apple.com/thread/10119956?start=0&tstart=0

代わりにシステム環境設定のJAVAコンポーネントを利用しました。

ついに動いた!!

そうしてEclipseをZIP展開からやり直し→JAEを再びインストールをすると
ついに念願のノーエラーでサンプルコードが動きました!!


とにかくコードを書くための環境設定が大変だと感じた今回の出来事
前から思っていたのですが、初心者がプログラムを自習するために一番問題になるのは
コードの動き方とかではなくて動かすために必要となる環境の設定ですよね。
簡単な事をするためにある程度の知識が必要というジレンマを何とかしたいものです。

とにかく、これで明日から憧れのGAEで開発が出来ます。