文字の洪水に溺れながら

人生初心者、でも人生のハードモードぐらいを生き抜きたい人間。

苦しんだ年を振り返る

もはや年記になっているこのブログを更新しようと思う。年始ということで未来の自分のために去年の自分の総括などをつらつらと書き記せればと思っている。

苦しんだ2017年、希望を見出したい2018年

振り返ってみると2017年は何事も初めてのことが多く、全く先が読めず、辛いことも多く、決して楽ではない1年間だった。振り返ってみて間違いなく人生のターニングポイントとなる1年ではあるが、それがプラスといえるのか、マイナスといえるのかは未だによくわかっていない。多分、感覚値としてはその正解がわかるのが来年の30を超えた頃かと思っている。去年や今年は、自分の選択肢が正解だったと言えるように必死に物事を前に進めているだろうという、暗澹として、けれども一縷の希望を感じる予感が年明けのこのタイミングからしている。

やはりすべての大きな変化を生み出したのは転職だろう。前職まではとても気持ちのよい人たちに囲まれ、いわゆる平和なサラリーマンという環境から、自分としても20代の最後ということで感じることもあり、リスクを取りに行き経営者に至る道という選択を取った。あまり多くを語ることはできないが、そのリスクを取るのはチャンスと感じたし、そのチャンスを物にできるかどうかは、外部要因よりも自分が耐えられるか否かで決まるチャンスだと感じたのだ。結果として、半死になりながらも、まだ自分は立っているし、耐えている。そしてリターンは少しづつ近づいてきているし、今のうちは賭けに勝ちつつある。だが、油断はもちろんできない。徐々に勝ってきたから完勝できるようなフィールドではないから、今日からまた勝つために立ち続けなくてはいけない。

生き残るために変わる

そう今年一年で自分の立場は大きく変わった。 働く組織のフェーズも変わったし、自分の求められているスキルセットやマインドセットも変わったし、時間の使い方も変わった。もっとも、正確に言うと変わらざるを得なかった。大学の頃にはあれだけ戦略論だ、意思決定論だと、思考の力で戦おうとしていたが、ビジネスの場はもっと泥臭く、論を語る前に何を結果として残せるのかしか意味をなさないし、内部にもそれを求めざるを得なかった。意識的に変わっていくような悠長な猶予はなく、そうせざるを得ないから、自分は変わっていっただけだ。まさか仕事をしながら生存することは適応することだとダーウィン論を実感するとは思わなかった。

だから、変わらざるを得ないから変わっただけで、それが正解なのかは未だにわからない。ライフハックみたいな学んだ点を書き残そうとしても、それは所詮生存バイアスでしかないことは自分がいちばんわかってしまう。しかし、それを書き残すぐらいしか、今の自分にコンテンツがないのは、とても皮肉的である。とはいえ、きっと数年後にこの文章は自分を救うであろう文になるはずだという、よくわからない確信めいたものもあるので、去年で得られた感覚を3つほど文章として残していければと思う。なお、以下の内容はあくまでもスタートアップで、なおかつ事業運営という立場での学びであって、他の立場では全く役には立たないことは先に記しておく。

答えがない世界でどう戦うのか

答えが無いときは、中期の計画を立ててはいけない。少しでも長い計画は無駄になる、計画を立てると外部環境由来ではなく、勝手に自分で立てた計画という縛りにとらわれてしまう。とにかく動いて正解と思わしきものを作り、そうして初めて計画を立てて意味が出てくる。机上の空論でガントチャートを作るくらいなら、直ぐにできる泥臭い施策を10回手作業で回したほうが、中期的に見たときのリターンはずっと大きい。成果にコミットするというのは、立てた計画を忠実に実行することではないのだ。計画が間違っていて、実行は仕切ったが成果が出なかったとき、そこに残るのは自己満足にすぎない。「事前に確認をしたこの計画通りにしたのですが、なかなか成果が上がりませんでした…。」というのは「あなたが同意した計画通りに行いました、でも結果は残りませんでした」という言葉をオブラートに包んだ表現だ。計画通りにすすめることは保身でしかない。保身の先は、仕方なかったよねという諦念と、クライアントからの期待値の低下と、事業価値の低下を意味する。成長はすべてを癒すというが、答えがない中で成長を遂げるには、計画的な成長ではなく、偶然でも何でもいいから事業の成長につながる行動を行うべきだ。

一定水準の行動を取り続ける価値

組織の戦いや、クライアントがある戦いは、一発で勝とうとしてはいけない。この世界に逆転なんてことは殆どない、逆転はフィクションでしかない。先に勝てる方法をやり「続けていた」やつが勝つ。非常にシンプルだ。だから、一発勝利をとれたという感覚があったら、どんなにきつくてもそこを行い続けることが重要だ。一貫性や継続性は事業を前にすすめるための重要な武器になる。面倒くさいことをやり続けることが、勝手にライバルが消えて生き残り、結果として成功を遂げているための方法なのだと自覚することが、この1年だけでも何度もあった。面倒くさいことが価値だとわかったらラッキーだ。あとはそれを楽にする方法だけ考えればいい。前の話にも通じるが、勝つ方法はきれいな戦略ではない、泥臭く面倒くさいが他の人が続けられないことを愚直に行うことで価値を取り、そこから楽にする方法を考えるんだ。

限界をどこで見極めるのか

肉体的な限界と、精神的な限界、そして自分の弱みを正しく理解することがすごく大事だと自覚した。どうやったってこのフィールドで戦うからにはストレスから逃れることはできない。そうしたときに、どこまでなら耐えられて、どこまでなら耐えられないのかをジャッジできるのは自分しかいない。そして予防できるのも自分しかいない。自分が倒れたらすべてがたちいかなくなるというヒロイックな感情は、ある種、無謀な状況では重要なカンフル剤となる。だから、それを否定はしない。ただそれだけで走り続けられる時間はそこまで長くもない。自分の状態と、ステークホルダーの感情は分離して考えられる余裕がなくなると、待っているのは不毛な消耗戦にしかならない。自分でブレーキを掛けられるようにすべきだし、自分でストレスの解消方法は何パターンか用意しておくべきだと思う。

そういえば、こうして久々に自分の思いを外に吐き出し、思いの外、書けることや書きたいことが多く自分でも驚いている。昔から文章に記すことで自分のあり方を見つめ直すような人間だったと数年ぶりに気がついたのも、また面白いといえば面白い。

さて、今年も最後まで立ち続けて、見たことのない地点を見えるようになりたいものだ。