文字の洪水に溺れながら

人生初心者、でも人生のハードモードぐらいを生き抜きたい人間。

普通の大学2年生が就活について本気で考えてみる。

哲学をすることの意味〜自己認識と自分探しについてのはじめに

今、ペトロニウス様が以前ブログでお勧めしていた竹田青嗣さんの哲学入門を読んでいるのだけど、めちゃくちゃ面白い。
「哲学をする」ことの入門書〜知識としての哲学ではなく、自分を知る道具として
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090524/p8

自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫)

自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫)

この本で語られているのは徹底した「哲学をする」ということ。筆者はこの本の前半部で哲「学者」になるな、哲学「者」になれと説いている。つまり、哲学は知識を学ぶことではなく「すること」によってはじめて本来の哲学ができるという。特に現象学についての記述がとても秀逸でわかりやすかった。

彼によると現象学とは真理(=認識と客観の一致)なんてものはこの世には存在しないらしい。ただ「正しい」というものは妥当、相互的な確信の一致だけあるのだという。これは以下の文面などが参考になった。

「ほんとう」はただ、人間同士の関係性の中で、相互の確信の一致としてだけ作り出されるものなのである(中略)現象学は「正しさ」や「ほんとう」についての、一つのはっきりとした考え方を私に示唆した。それが客観的な理論であれあるいは内的な信念であれ、およそ「正しさ」とは閉じた主観から出て相互的な主観の間でその「妥当」を験されそれを導く努力の中でのみ意味を持つのである。『哲学入門』

この考え方は後に続きます。

就活舐めすぎじゃね?もっと戦略練ろうぜ

そしてやっと本論になるんだけど、この文章を読んでいると就職活動と自分探しについて書きたくなって仕方なくなった。別に就活はどうしたら受かるのかとかそういうテクニック論的なものとは別にして就活に臨む上での心構えというか、ひとまず今自分はこんな考えを持っていると整理したくなった。


まず自分の今の立場を確認すると大学2年生だ。これはまぁ就活対策者としては早めらしい。でも就活について興味が出てきたので普通の人が読むような就活本を少し読むようになっている。それで、まぁ、就活本とか読んでることが知られると同級生は「もう!?大変だね^^」とかそんな感じの反応が多い。別にそれは人と違うだけだし、気にしないんだけど一つだけ言いたくても言えない不思議でしょうがない疑問がある。


就活ってヤバいくらい人生の選択の岐路だってわかってるのか?


ってことだ。俺は先輩とかで内定決まってない人とか結構知ってる。今が不況的な意味で一番やばい時期だって言うこともわかっている。ほとんどの同級生だってそれぐらいは知ってるだろう。でも早めの戦略を練って対策をしてっていう人があまりに少ないのはちょっと信じられない。

あのさー、俺はまだ就活本とか2,3冊読んだだけだけど、就活中の学生って自己分析ってやつをしてOB訪問ってやつもしてそれでいてもちろん授業もこなして、部活もして、しかもその部活だったら3年前期とか幹部として中心にならないといけなくて、バイトもして、ESを100枚程度手書きとかして、しかもその枚数×10ぐらいの質問に真剣に答えを用意しないといけなくて、面接練習もして、慣れない社会人とかと一杯話して、で、しかもガンガン落ちて辛くなって、それでいて希望の会社には会社研究もして、セミナーも受けて、、、、普通に考えて普通の学生ならできるわけないじゃん!!

1年後に間違いなく起きることに関連のある本を1冊読んだら簡単にわかるこの事実にたいして、やっぱり危機感がなさすぎだと思うんだよ。少なくともそういうことを知っていれば今からESの対策ちょっと考えるなり、自分の何を活かすべきなのか今から考えたり、戦略性が絶対的に必要なはずなんだ。

俺の親友で別に頭の能力的な意味では全然天才じゃないけど天才的に戦略立てるのが上手かったやつがいたけど、そいつは結局、同期の期待の星どもが落ちて行った中当然のように東大受験に成功して、今でも10年単位で物事考えて自分のやりたいことしながら人生の勝ち組を謳歌してるよ。就活って多分受験よりも人生を決める選択だよ。少なくとも人生楽しみたいってみんな思ってるんでしょ?俺は最高に楽しい仕事をゲットして、家族と幸せな時間を過ごしたいって思ってるよ。きっと、他人とそんな変わらないと思う。でもみんなその思いだけ過ぎて、次に待ち構えている登竜門の準備すらしてないのはのんきすぎると思うよ。

もっともっと、みんな戦略持とうぜ。

たしかに俺も戦略っていう言葉はゲームの中だけだと思ってた時期もありました、戦略と戦術の違いもわからない?そういう人はコードギアス見てペトロニウス様のブログの関連ページ全部読め!(笑)あとビジネス書を数冊、それだけで少しは重要性が認識できると思う。俺はそういう意味では本当に師匠には感謝してる、もっとも言葉と行動が伴ってなさ過ぎて失望させてしまったから弟子なんて語る資格もないけれどさ。でも感謝の気持ちは本当。

就職活動の自己分析と自分探しの違い

関連エントリ(というか前提エントリ)

わが子を自分探し病から守る
http://anond.hatelabo.jp/20080715002131

就職活動における自分探しの病は致命的〜就職活動は嘘が罷り通る
http://ameblo.jp/petronius/entry-10012159430.html

就職活動は宗教のイニュシュエーションのようなもの①
http://ameblo.jp/petronius/entry-10071357830.html

就職活動は宗教のイニュシュエーションのようなもの②〜バカになれた奴が勝つ
http://ameblo.jp/petronius/entry-10073380913.html

本論に戻ります、自分探しと就活についてです。
俺はどうも中二病発症がいまだ治ってないようなのですが、発症した時からこの自分探しというものは愚かにみえて仕方なかったんです。なんていうか本当の自分が自分の外にあるっていう概念が受け付けない。だって、今まで自分自身と一番付き合ってるのは間違いなく自分なんですよ、他人じゃなくて自分。20年近くずっと片時も離れることなく自分と一緒にいる。それなのにその本当の自分がどこか自分以外のところにあるって、それ言っちゃうと「自分じゃないから!!」って感じ。

で、勘違いされがちなんだろうなと思ったのはこの頃の就活の常識である自己分析と自分探しの混合してるところ。

自己分析と自分探しって全然違うよ!!


自分探し病についてはペトロニウス師匠が凄いわかりやすく書いてくれている。

本当の真の『自分』が理解できていいないとダメ

自分が本当に心のそこから望むものが分かっていないとダメ と思い込むのだ。

そんなこと、

わかるわけねーじゃん(笑)

面接では、一言もいわないで自信満々に話すが、僕だって、全然分からないよ、そんなの(笑)。シゴトだから、そういう役割でやっているだけ。人間にそんな答えが出せる分けなかろう(笑)。これって、岡田斗司夫氏が言っているが、 「本当の自分探し病 」という病気なんだよね

自分探しって言うのは、いうなれば答えのない問に取りつかれちゃってる人が陥るものだと思う。自己分析っていうのは今の自分はいったい他人からどう考えられているのかという事であって、自分探しとは本質的に違うはずなんだ。まとめると、自分探しは答えは外にあると思っている、そして自己分析は答えはこの自分自身だっていうことがわかっているっている、そこが違い。

ただ問題なのは一見、目的が自己分析であろうと逆に自分探しであろうとその過程と目標が間違ったことに陥りがちになることがあるってことだと感じる。間違った目標とは何か、それはさっき取り上げたこの部分。

『本当の真の『自分』が理解できていいないとダメ』

こうじゃない、今のおれの認識で正しいと思うのはこれだ。

『自分というものを他者との関係でつかみ取る、そしてそれを利用する』

そこで最初の哲学入門の話に戻ってこれる。そしてあまりにも哲学入門の内容と上記のエントリの内容がかぶっているのでまとめて載せてみる。

「ただしさ」とは何らかの心理(=信念)によって人々や現実を判断-裁定するのではなく、自分の信念のほうを人々や現実によって試すこと。このプロセスにおいてのみ、人間の脳裏に住み着いている「ただしさ」は独我論を抜け出すことができるのである。『哲学入門』

この独我論という言葉を自分探しに「ただしさ」というのを「自分」と置き換えてみるとまんま、俺の言いたいことになる。

まぁ本の中身について書くのはあまりに馬鹿らしいので割愛するとして, 私に言わせれば「本当の自分」なんてものは存在しない。 なぜなら「自分」というものは「他者」との関わりによって形成されるもので, その構造は, もの凄く単純に言うなら, ラッキョウの皮みたいなものだからだ。 「本当の自分」を探す行為は猿がラッキョウの皮をむくのに夢中になるのと同じ。 敢えて好意的に解釈すれば, 「他者」と関わってきた「自分」の過去への評価が「本当の自分」である。
『自分探しが止まらない』を眺める
http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000376.shtml

これも同じことを言っている。

極めつけはやっぱりペトロニウス大先生。
ちょっと長いけれども抜き出し

1)目的の設定

2)等身大のコミュニケーションによる自己否定
3)混乱状況からの自己回復

4)目的の達成


自信を得るために必要な具体的方法・・・何をすればいいかって云うと、僕の個人的所感をいくつか書いてみる。

否定慣れ・混乱慣れ
〜等身大のコミュニケーションによる傷つけ合いと自己回復のサイクルを短く

だと思うのだ。セクハラになるので、よほど状況が整わないと聞かないけれども、人を選ぶ時(特に学生)の重要なポイントに

「きみ彼女(彼氏)はいるの?」

という質問がある。

これはなんでするかというとね、初恋の時や失恋の時を思い出してもいいのだけれども、そういう時って、凄い自分を見つめ直すし、しかも「好きだっていって、断られたり・・・・」とか無駄な悩みを悶々とするじゃないですか(笑)(中略)でも、恋愛ってのは・・・・僕がいうのは、「恋」って次元では、別に大人になっても、あまりかわらないんですよね。つまり

等身大の自分と等身大の相手とのコミュニケーション

なんですよ。
(中略)
また、何気ない彼女の一言で、人生観が変わったり、自分の習慣に対する強烈な否定だったり…。これって、憧れの企業(=恋人)を口説くときと、同じだと思いませんか?。プロセスが凄く似ていて、恋愛になれている人は、この自分自身が否定され変わっていくことで、好きな人に振り向いてもらえたり、理解しあってより深く好きになっていくプロセスになれている人が多いんですよ。

逆にいえば、恋愛になれていない人は、この「自分を否定して変わっていくことで得るものがある」ということを根本のところであまり理解できていない人が多い。まぁあえて暴言ですがいうと、男性でいえば童貞は話にならんのですわ。どんな目的であれ、それが性欲を満たすためでも、愛情でもなんでもいいのですが、狙った獲物(異性)をちゃんと心の深いところまで開かせることができない人が、他者を口説く力があるとはとても言えないでしょう。

つまり自己分析には他者が必要不可欠なんだってことなんだよね。そしてその後の具体的な意見が圧倒的すぎる。経験からくる話っていうのは本当にかなう気がしないよね、できるのはその利用だけだから・・・。いやその話はまた今度にしよう。えっと、他者がいるからこそ、自分がいったいどんな風に捉えられがちなのか、そしてそれをどう活かせるのかって考えていけるってことだと思う。これはただこの会社に行きたい。だからこの会社についての対策を練ろうだけよりよっぽど効果があると思うんです。

よし、そろそろ結論に入るぞ
今のところのをまとめると

  • 自己分析によって自分は他人からこう思われるような自分であるという現象学的な認識を行う。(妥当の一致)
  • 次にそのキャラ的な自分の強みを理解し、それを武器とできるまでの努力。

自分の本質を見極めた上で、それからずれない形での飾りは重要
http://ameblo.jp/petronius/entry-10012159430.html

  • そしてその武器を使って対象にアピール。(もちろん他人が行う対象に対しての情報分析は前提)

この三段階が絶対に必要になるってことですね。
うはー、長くなった。
とりあえずこれが今のところの就活に対しての心構え。

こっからまた、戦略とかを真剣に練っていかないといけないとは思うけど・・・。
ここまで自分の中で整理がついて自分的には満足です。