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文字の洪水に溺れながら

人生初心者、でも人生のハードモードぐらいを生き抜きたい人間。

記憶の外部メモリ化は学生の本分とは合わないのかもしれない

そんな事をこの頃、思ったりしてます。

まず学生っていうのは主に大学生をさしてるんですが、大学生の本分って何か体系だった知識を頭に突っ込む、自分の頭でその分野についてうんうん頭を悩ますことじゃないかとこの頃考えるようになってきてるんです。

で、そう考えたときに記憶の外部メモリ化(evernoteGTDとか)のような頭で考える負担を減らそうというのは、実は「社会人の思考法を実践してストレスフリーに近づいてる、俺、cool!」という思い込みだけで終わって、大学生(という時間がある立場)だからこそできる「1つのことに関して真剣にうんうん悩む」ということが疎かになってしまっているんじゃないかなーと自分で自分自身を危惧してます。

こう考え始めたのは理由があって、友人(その人は勉強したいって大学に来ている人で、個人的にも凄いなぁと感じることが多い)が、

「パワーポイントを使ってスライドで何枚も説明する講義は嫌だ、(情報量だけ多い)パワーポイントをただ写すだけの作業ゲーになってしまって講師の言っていることに集中できない。自分の中で咀嚼をする時間が授業中にない」

って言ってたんですね。

僕はこの視点が凄い新鮮で驚いた記憶があります。

というのも、自分はpomeraを使って授業で学んだことは自分の頭ではなく外部メモリに保存して、必要になったときにでも参照しようという態度になっていたんです。いかに授業は作業ゲーに落とし込んでしまうかという、言ってしまえば効率重視な考え方ですね。で、効率化が高まればわーいと喜んでいたという形です。

でも、これって本当に自分の頭のトレーニングになっているのか?と、先述した友人の言葉から考え始めたわけです。記憶の外部メモリ化を行うことによって、たしかに僕の成績は向上したし、時間創出にはつながったかもしれない。でも、もしかしたら大学で一番得るべきものの1つであるはずの「考える力」が疎かになっているのかもしれない。そういった気づきがあったとかそういう話です。

まぁ、昔から「苦労は買ってでもすれ」って言いますしね。もう少し、苦労したいと思います。


蛇足
ただ、上記は大学を学びの場として捉えているという前提があるので、この頃の風潮である「大学は大卒という資格を手に入れるための場にすぎなくて、そのために卒業までに、いかに楽をするかを考える」(from 東大の友達)という思考とはあんまり合わないとは思います。むしろそういう学生には記憶の外部化の活用というスタンスは正しい選択だとは思います。