文字の洪水に溺れながら

人生初心者、でも人生のハードモードぐらいを生き抜きたい人間。

就活から学んだ議論を円滑に進めるための5つの態度

意見の評価はパーソナリティに依存する

ディスカッションの究極の目的とは問題解決のアイディアを出すことですよね。そのために本来的には解決方法の内容がもっとも重要であるはずです。ただ、人間、なかなか解決方法の中身だけで判断するのは難しかったりするのではないでしょうか?

要するに、同じ意見を言っていたとしても、その意見を言っている人自体への評価によって、意見への評価も変わってしまうことがあり得ると思うのです。

ただ、もちろん、こういう事が起きるとあまりディスカッションとして有益なことはありません。よい意見だったとしても人物評価のせいで日の目を見ないことになってしまうのですから。

こんな状況にならないためにも私は、中身の議論とはまた別に、ディスカッションを円滑にするための態度は適切な議論を進めるうえでとても重要な要素だと考えます。

僕はこの夏休みに就職活動というものを開始し、幸いなことに多くの貴重な体験をさせてもらいました。その中で上記の点の必要性を強く感じたのがグループディスカッションです。そこでは、ほぼ初対面の人と共同作業を行い、一つの結論を出すことを要求されます。

このような場で、どのような振舞い方が良い議論を生み出すのか、自分なりに思ったところがあったので書き残したいと思います。

1、自分の表情に気を使う

相手の話を聞くときに顔は想像以上に自分がどう思っているかを表しています。ずっと笑顔でいるべきとは思いませんが(グループが悩んでるときに一人笑顔だと若干ずれているように思われます)、不機嫌な顔をして良いことは一つもないでしょう。たとえ、相手の意見に否だと思ったとしてもその考えを顔に出した瞬間、その後のコミュニケーションは潤滑には進みません。

少し想像してみてください。自分なりの考えを必死に話しているとき、相手が明らかに嫌そうな顔をしていたら、次のテーマの時にその人に話しかけたりしようとは思えなくなりませんか?

相手の目をみて「私は真面目に話を聞いているよ」というアピールを相手にしてあげてください。この態度が議論における相互信頼の始まりとなります。

2、結論がでたことは引きずらない

上記の事と関連しますが、自分の意見がグループの結論として受け入れられなかったときに残念と思うその気持ちをそれ以降に引きずってはいけません。そして顔に出してももちろんいけません。(残念と思うこと自体は仕方がないとは思いますが・・・。)

僕が体験したGD(グループディスカッション)で最も困ったものは、「拗ねる」「ふてくされる」という行為に走る人です。

僕はもう知らない、とか、このグループは自分には合わないからいいや、と言った思考はグループのメンバーが1人いなくなる状態を作るだけでなく、空気を重くする人が増えるというマイナスの存在になってしまいます。GDは共同作業です。たとえ自分が力になれないと感じたり、疎外感を感じたりしたとしても、周りに迷惑をかけないように努めるのが最低限の大人の行動ではないでしょうか。

3、相手の話をさえぎらない&結論づけない

相手の話を最後まで聞くことは議論、というよりも円滑なコミュニケーションをとる上で最低限必要なことです。ただ、この最低限のことができている人が(自分も含めて)意外にいません。そして、相手の話を遮るときの常套文句が「それは〜〜と言うことですね」という、相手の結論を奪う行為です。多くの場合、人は自分の話を勝手に要約されたとき、素直に受け取ることはできません。そのため、結論を奪ってしまうとよく

○について話そう

(○についての各々思う事を提案するフェイズに移行)

Mさんが○について話す

Lさんがそれを遮って結論づける

Mさんが「いや、そうではなくて」と補足等をしようとする。

それに対して別の人が「こういう事ですか?」等と話に入ってくる

(Mさんの○についての話がどういうものか、というフェイズに気づくと突入している)

という、本来の大筋とはずれた議論の流れになってしまいがちです。そうすると、全体からみると結論に向けて大変な大回りをしているという事になってしまいます。このように、話を最後まできかないという行為は、グループで行動する上で大切な意志共有というものを阻害し、結果としてあまり良い結果にならないことが多いと感じました。

*1

4、自分の能力アピールは全く必要ない

ディスカッションで最もいらないものの一つに自分の能力アピールがあります。具体的には、「それ、僕も今考えてた」「昔、それは考えたことあるけれど」「あ、知ってる」「経験上、きついでしょ」といった言葉たちです。これらの言葉のほとんどは意見ではなく、「感想」です。その人が昔考えたことがあるかどうかは事実か分かりませんし、あまり興味もありません。実際にディスカッションで役立つのは根拠がある建設的な「意見」です。上記のような感想でしかない、自分アピールの言葉ではメンバーの志気を下げることはあっても、その人の評価の向上につながることはまずありません。ましてや、そのような感想からディスカッションの成功に繋がることはないでしょう。

5、メンバー全体の利益を考える

上記のすべての前提になることだと思うのですが、個人の利益よりも、そのグループ全体の利益を考えることを優先しましょう。それが結果として円滑な意志共有と、活発な意見交換がなされる土壌の形成に繋がりなます。

少し就活の話になりますが、GDはグループの中での能力を見るために行われていますよね。グループの中での能力とは何でしょうか?きっとそれは組織で結果を出すという事につきると思います。しかし、実際にGWを体験したりしてみると、個人でどう考えるかというのを重要視しすぎている人が多いイメージでした。周りのメンバーと一緒に作り上げたのはこのようなことです。と自信をもって言えるかどうか、結果を出すために必要な視点は実はこういう事なのではないでしょうか。

番外編

(こっからは就活生として意識しといた方が良いなぁと感じたことをメモっておきます。)

  • 議論の過程を無視しない

就活のGDには必ず時間が限られていますよね。その時間内にある程度まとまった結論が必要になるという事ですが、議論が終盤にさしかかったときに、これまでの前提を疑ったりする意見がでてくることがあります。たとえば、「そもそも(←議論終盤では危険ワードです)、このターゲティングが間違っているんじゃないのかな」等と言ったことです。言ってる内容がたとえ正しくても、これはやめておいた方が良いかなぁと私は考えています。理由は簡単で、メンバー全体が混乱状態に陥り、まとまった結果を出すという最低限な基準すら満たさないことになってしまう恐れがあるからです。

  • 周りはライバルではなく、面接官だと考える

今までの内容を読んでくださった方には、そうは言っても周りと比べてアピールしないと就活は通らないんだろ!と感じる方もいると思います。ただ、もう一度考え直してみてください。その採用はおそらく一人だけを採る採用ではないですよね?企業に入ると言うことは組織で働くということです。そんな現実の中で、今横にいる人と円滑なコミュニケーションをとって結果を出すと言うことをできないで、会社の中に入って周りと結果を出すという仕事をやっていけると僕は思いません。
 僕自信はこの夏休みに学ばせてもらったのは、周りは自分と競っているライバルであるという考えるのではなく、周りこそが自分を審査している面接官だと考えるという方法です。
 面接官への接し方は、自然と仕事に就いたときのクライアントへの対応の仕方に繋がっていくのではないでしょうか。そういった意味でも、周りは同じ学生だという思考ではなく、社会人としての接し方の練習の機会が1つ増えると考えて、逆に周りの就活生に私がチェックされていると考えてみてはいかがでしょうか。

*1:ただし、あまりにも一人でぐだぐだと時間を使っている場合は例外ではあります。ただ、それも結論は奪わないで上げてください。反論から、また本筋とはずれた話が続いてしまいます。こういう時は結論を相手の口から言わせるようにすると効果的でした。具体的に言うと「あまり時間がないので、結論としてはどういう事ですか?」と聞く等です。

「ドグラ・マグラ」についてのまとめのまとめ

ドグラ・マグラ」を読み終わった!

夢野久作の代表作である「ドグラ・マグラ」を読み終わりました。
まず、最初に宣言させて欲しいのは、確かに言うまでもなくこの本は傑作だということです。

日本探偵三大奇書と呼ばれるのは読み終えてしまえ当然のことに感じます。この奇天烈かつ幻想耽美さが半世紀以上前の作品と思えばなおさらですね。この作品がすばらしいと思うのは、「ドグラ・マグラ」を読んだ後に、誰かと「ドグラ・マグラ」について語りあいたくなるところじゃないでしょうか。そういった意味で、比べるのは甚だ不誠実なのは覚悟だけども「ひぐらし」や「テレビ版エヴァ」と言った作品に読後感が似ている気がしました。

まぁ、ただ残念かつ、当たり前のことに、「ドグラ・マグラ」を同時期に読み終わった人なんてほとんどいないんですよね。ただでさえ、昔の本だし、ただでさえこんな表紙しているし、
LINK
ただでさえ、「本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす」なんて言われてますし。

というわけで、僕は読み終わった後にネットで「ドグラ・マグラ」についての書評とか読み漁った口なので、これから読み終わった人のためにも、面白かった*1サイトとかまとめておきます!というのがこの記事の趣旨です。ただ、一応ネタばれは全力で避けてます。

では以下どうぞ

ドグラ・マグラについて扱っているお勧めサイト一覧

wikipedia
最初に言っておきます、ここを読んだら駄目!絶対!
面白くもないくせに、大した満足感も得られません。
wikipediaを見るくらいなら下で紹介しているアンサイクロペディアの方が100倍マシです。

アンサイクロペディア
一応、説明しておきますがアンサイクロペディアとはwikipediaのパロディであり、書いてあることはほとんどが嘘のネタサイトです。
が、どうした?ってぐらい「ドグラ・マグラ」に関しては記事が秀逸です。「ドグラ・マグラ」の雰囲気を伝えることに成功しているばかりか、アンサイクロペディアの癖に本当のことを堂々と書いてます。

松岡正剛の千夜千冊『ドグラ・マグラ』夢野久作
よく書評に書かれがちな簡単なあらすじというものをお探しならこちらの書評をお勧めします。さすが千夜千冊の松岡氏、ドグラ・マグラなる奇書もしごくあっさりまとめているのは感服します。ただ、あんまり読み終わった後に読んでも得られるものは少ない気がするのは気のせいかな。

とある元映写技師の日常 「ドグラ・マグラ私的覚書」
今回、強くお勧めしたいサイトです。ドグラ・マグラの最大の特徴である複雑な構造をもう一度頭で整理するためには最適かと思います。作中作の題名ごとに何が書いてあったのか、また現実上ではなにがおきていたのかを、必要不可欠な情報量でまとめてあります。この手腕には感服します。このサイトを「ドグラ・マグラ」読了後に読むだけで大分理解の深さは変わってくると思います。ただ、最後の最後まで書かれていないのがたった一つであり致命的な欠点であったりします。

ドグラマグラによっていかんね!
ここは上記の私的覚書を読まれたあとに、訪れると良いと思います。「ドグラ・マグラ」の様々な内容に一つ一つ鋭い考察を行われています。「ドグラ・マグラ」に関してのポータルサイト的な役割も果たしていそうです。ただし、「ドグラ・マグラ」の内容を深く理解していなければ、この素晴らしい考察群の楽しみも減るだろうな、という事であえて一番最後に紹介させてもらいました。

あと、ネタとして

圧縮ドグラマグラ

夢野久作ドグラ・マグラ』を形態素解析マルコフ連鎖で圧縮してみました。

との事ですが、内容は伴ってないくせに確かにドグラ・マグラらしさは現れているとは思います(笑)

次に読むのにお勧めするなら

同じ雰囲気を味わいたければ夢野久作の代表作を順に読んでいくのがおすすめですね。代表作で攻めるなら『瓶詰地獄』、『少女地獄』あたりのチョイスが良いかと。


※少女地獄は漫画版もあるので、とっつきやすいです。


※個人的には『日本探偵小説全集〈4〉夢野久作集 (創元推理文庫)』がコスパが良くて気に入ってます。

変わり種系だと刀剣好きな審神者の皆様には耽美系としてがあったり

全集(私は流石に買えてないけど…)定本 夢野久作全集 (第5巻)もあります。

最後に

最後に個人的にこれからドグラマグラを読もうとしている方に一言
読んでいて前半部のつらさは尋常じゃないですが、後半になれば一気に頁が進みます。なので、それまでは(もし読み続けるのがつらいと感じたのなら)じっくりとではなく、あっさりとした読みで構わないと思います。是非、「ドグラ・マグラ」を通しで読むという貴重な体験を味わってください!

*1:コメントでご指摘あったので補足します。この場合の面白いの定義は、一度読み終わった上での再解釈を助ける、またはドグラ・マグラ特有の空気感を引き続いて感じることのできる事を意味しています。

女性に友達以上恋人未満は存在しないらしい

ふと、昔の大学でのクラスの飲み会で話題に上がった事を思い出したので書き残しておきます。

うちの大学はもともと大学自体の男女の構成比率が男:女=3:7くらいなので、飲み会もどちらかというとぐーたんぬーぼーみたいな会話で盛り上がります。最初は誰々がつき合ってるとか、今までの経験談とか、高校生みたいな話題で騒いでたのですが、後半になるに連れその人の恋愛についての価値観トークにシフトしていきました。個人的にはやっぱりそういう価値観トークが面白いので、うんうんと話を聞いていたり、酒の力を借りて自論を展開したり、そんな風に盛り上がってました。

そんな中、ある女子からのぽつりと呟いた一言が宴会の席の話題を総取りしました。

「友だちから恋人になるってパターンは無いよねー」

一瞬、何を言っているんだ状態になったになったのですが、詳しく話を聞いてみるとこういう事らしいです。

  • 女性は最初に男性と出会った瞬間に「友だちカテゴリー」と「彼氏候補カテゴリー」に分けられる。
  • だから「友だちカテゴリー」から彼氏になる事はほとんど無い
  • 「彼氏候補カテゴリー」は友だちという感覚ではない。
  • 友だちは一緒にいて楽しかったりする人だから「彼氏にする事に挑戦して今の関係が壊れる」というリスクを負いたくない。

もちろん、この意見に反対した女性も多かったのですが、意外にも半分程度はこの意見に賛成を表明、飲み会の場は一時、答えのでない「だって〜〜じゃん」トークに支配されました(笑)

この時、男子側でこの意見に真っ先に、そして真っ向から異議を唱えたA君がいました。
彼曰く「いや、だって友だちってプロセスを経ないと彼氏とか無理じゃないの?そもそも、それなら最初にダメだって判断されたら彼氏になれないって事だよね?」とのこと。僕自身もそうだ!そうだ!と(頭の中で)同意してました。そして今でもそうだと信じているんですが、この意見って男性側の意見を端的に表してますよね。男性からすると「知り合い→友人→彼女」というプロセスが最も一般的な事だと思うし、そうじゃないと、第一印象でイケメンと判断されないと終わるという現実に耐えられないじゃないですか!(ちなみにA君の質問はあっさりと「そうだよ」という答えによって打ちのめされていました)

ただ女性側からするとその考え方は選択肢の1つでしかないようです。
つまり、知り合ってすぐに彼氏になると言う「知り合い→彼氏」も人によっては全然okだとの事でした。
それどころか、「知り合い→彼氏」以外は受け付けないという人も結構いるようです。
だからこそ、「あんなに仲が良いと思っていたのに、アプローチをかけたら撃沈した」というありがちな男性の経験談が出てくるのかも知れません。考えてみれば、確かにこのパターンを女性から聞くことは少ないような・・・。

このギャップは非常に面白いですよね、個人的には少年漫画と少女漫画の違いを端的に表しているような気がしました。少年漫画はどちらかというと、ヒロインと公式につき合うという設定は少ない、だけれども一緒に旅をするメンバーの一人だったりして、「ヒロインは彼女じゃない=友達以上恋人未満」が物語の前提に組み込まれている気がします。一方で、少女漫画は、そういう設定もあるにはありますが、恋愛自体が中心となることが多いので「恋人の状態」が描かれている事が少年漫画と比べ多い印象を受けます。ここが男性側と女性側の心理の違いを生み出しているのかなぁなんて仮説を今更考えたりしています。

なんだが、まとまりのない文章になってしまいましたが、彼女を新しく作りたいのであれば

  • 狙っている女性から友達カテゴリーに入れられていないかチェックする事
  • 新しい出会いのために第1印象の向上に全力を尽くす事

をする必要があるかもしれないとかそんな話でした。

意外と知られていない12の社会人基礎力の紹介

社会人基礎力とは?

社会人基礎力とは経済産業省が2006年から提唱している概念で、基礎学力、専門分野に加えて学生が社会に出るうえで要求されている能力を言語化したものです。これまであまり多くのないセミナー参加回数の中でもよく聞かれた言葉なので書き起こす事に決めました。

就活生の方はもちろん、実際に社会で働いている方が、自分にはどのような点が強みとしてあるのか、また足りていない能力は何なのかという点の発見につながれば幸いです。

社会人基礎力とは3つの要素と12の能力で構成されています。ここでは今まで受けてきたセミナーの中でこの社会人基礎力がどのように説明されていたのか、またそれらの能力がどのようにして面接ではかろうとするのかを出来るだけ書いていければと思います。

前に踏み出す力

これは主に行動することに関わる能力群です。仕事に関わるアクションを以下の3つに定義しています。

  • 主体性

主体性とは物事に進んで取り組む力のことです。
この能力は、行動に対しての積極的な態度に対して評価されます。例えば、ある面接で学生はバイトのリーダーとして活躍した、と自己PRを行いました。しかし、話をきくとバイトのリーダーになったのはどうやら3年間、同じ場所に勤めていたせいで一番の古株になったのが理由そうです。この場合は残念ながら主体性が高いとは判断されないでしょう。主体性の判断はどうやって自分から動いたのかに集約されます。

  • 働きかけ力

働きかけ力とは他人に働きかけ巻き込む力のことです。ここで重要なのは、誰に対して働きかけ力を発揮できるかです。いうまでもないことですが、同期だけでなく、年下、目上の方まであらゆる年代の方に働きかけ力を発揮してはじめてこの能力は評価されるようです。そればかりか、働き力をアピールしたのに、一部の層には働きかけ力を発揮していなかったとわかるとマイナスポイントととられかねません。全ての人に働きかける力、それこそが働きかけ力のようです。

  • 実行力(目的を設定し確実に行動する力)

実行力は、目的を設定し、確実に行動する力です。
あなたが何かを成すためには必ず、プランニングが必要です。ただ与えられた事をこなすことが実行力ではありません。自分自身で必要と思うことを見つけだし、そしてそれを実行していく力こそが実行力だそうです。プランを立ててそのままであったりとか、計画を立てない行動を行ったせいで続かなかったりした場合はもう一度この実行力の定義を考え直してみるといいかもしれませんね。

考え抜く力(シンキング)

これは考えるという事にフォーカスを当てている能力群です。社会人であろうとすれば、頭を使わないで切り抜けることは不可能です。考えることについて、もう一度考え直してみましょう。

  • 課題発見力
  • 計画力

課題発見力とは、現状を分析し、目的や課題を明らかにする力の事です。また、計画力とは課題の解決に向けたプロセスを明らかにし準備する力のことです。
この両者はみての通り地続きでかかわり合っており、一つが欠ければ1つは存在できません。すなわち、課題を発見できるからこそ、その課題の解決に向けたプランが練れるのであり、逆もしかりです。また課題発見力には、現状の認識が必要という点に気をつけなくてはいけません。現状に満足できない、このような思いこそが2つの能力の始まりになるようです。

  • 想像力

想像力とは新しい価値を生み出す力との事らしいです。ただし、この力はなかなか外側から判断することは難しいし、自分で延ばすのも難しい能力のようです。ただ、セミナーの方がいうにはこの能力は好奇心の強さと関わっているのではないだろうか、との事でした。自分の本当に好きな物を見つけて、それを人に紹介することがこの能力があるように判断される指標なのかもしれませんね。

チームで働く力(チームワーク)

3つめの能力群はチームで働く力です。社会人である限り、個人での能力がいくら高くてもチームワークができれなければ満足な結果は出せません。逆に、ここの能力が高ければ充分チームとしての結果に貢献できます。

  • 発信力

発信力とは自分の意見を分かりやすく伝える力、もっと直接的な言い方をすると主張力、との事でした。誰かとコミュニケーションを取るためには自分の考えていることをしっかりと相手に伝える必要があります。確かに話を聞くだけで、自分の考えを持たない、発信しないのでは充分なチームワークは送れないですよね。

  • 傾聴力

傾聴力とは相手の意見を丁寧に聴く力の事です。ここでなるほどな、と感じたのは相手の言っていることを理解するという点も重要ですが、それ以上に聴く態度の事を要求されています。相手が自分の伝えようとしている意志をしっかりと受け取ろうとしてくれている、このように相手に感じさせられる能力が傾聴力なんでしょうね。

  • 柔軟性

柔軟性とはいかに環境から自分が学び取ることができるのかという力のようです。就活の話に戻りますがこの話をしてくださったときに印象的だったのは以下のお話です。
「よく学生時代に〜〜を体験しましたという人がいますが、私が聴きたいのは、ではその体験を通してあなたはどう変わりましたか?という点なんですね」この話を通してわかるのは柔軟性とはいわゆる「伸びしろ」何だなぁと深く感じました。

  • 状況把握力

状況把握力とは自分と周囲の人々や物事との関係性を理解する力の事のようです。簡単に言ってしまえば、空気が読めるのか、ということですね(笑)関係性は社会というものを構成する上で非常に重要な役割を果たしています。この関係性について敏感でなければ、社会人としては活躍できないと言うことなのでしょう。

  • 規律性

規律性とはマナー力のことです。就活においては規律性は話の内容よりは態度をみられて判断されるようです。例えば足を組んでないかとか、遅刻はないかとかそういった基本的な点ですね。ここは社会人においてはできて当たり前だととらえられます。そのため、いくら他の能力が優れていたとしてもここができていなかったら論外との判断を下されがちのようです。

  • ストレスコントロール力

ストレスコントロール力とは文字通り、自分のストレスに上手く対処する術を身につけているかどうかという力です。ただし、ここで重要視されているのは以外にも、ストレスをコントロールする術よりは、ストレスを感じているという自分に気づくことができるかという自己認識の段階のようです。意外にもここができていないために、ストレスコントロールができない人は多いようです。どのようなときに自分はストレスとを感じるのか、また今自分はストレスを感じているかといった点に敏感になれると、対処も容易にできます。コントロールという点よりも気づきに重要度が行っていることが興味深く感じました。



いかがだったでしょうか、自分と照らし合わせながら読むと、いろいろな気づきがあったと思います。僕もこの社会人基礎力をもう一度自分と突き詰めあわせて、就職活動に役立てたいと思います。

文化人類学って何?&その授業のレポートを晒すよ〜!

文化人類学って?

今学期は人類学の文化人類学の初期の授業を取ったので、最終的に提出したレポート(ミニエスノグラフィー)と共に、自分の中での文化人類学のイメージを記します。

まず人類学っていうのは今のところ以下の4つの分野に分けられているみたいでした。簡単な説明付きで書いときます。

1、形質人類学
生理的な側面から人と他の動物を分けている物を探求する学問。脳味噌の容量とか骨格の研究とかそういう事をしているらしい。
2、文化人類学
人間の生活様式全体(生活や活動)の具体的なありかたを記述している学問。現地の文化に寝泊まりして本書きましたとかはだいたいこの研究者。
3、考古学
発掘して、その発掘品から人類について研究する学問。一番イメージがつきやすいとおもう。
4、言語人類学
言語の違いから人類について研究する学問。SVOとSOVの構造の違いはこのような差異があるのではないかとか研究してるみたいです。

で、まぁ僕はこの中の文化人類学の初めの初めを学んだわけなんですが、この分野をなぞるうえで欠かせないキーワードを先に紹介します。

フィールド・ワーク:実際に調査対象者に調査をする事
参与観察:外側から観察するだけでなく、その立場に入って同じことをしながら観察する事
エスノグラフィー:研究論文に近い。調査記録とそこから考えられる考察を書いたもの。
質的調査:アンケートのような数による統計調査ではなく個別調査を重要視する調査方法。イメージがつきづらいと思うので後に記すレポートでイメージをつかんでください。

この授業では主に文化人類学がどのような歴史を辿って、現代ではどのような問題を抱えているのかという事を中心に授業が進んでいったわけなのですが、授業を通して非常に意外だった事が1つあります。

それは

文化人類学を学ぶという事は、調査方法について学ぶことであり、ぶっちゃけ調査対象者の文化などについてはあまり重要視されていない。

という事実です。

えっと、分かりやすいかどうかは置いておいて例えると、「数学」学という学問分野は数学についての知識(幾何とか、この方程式の解き方とか)よりも、数学をどう学ぶのかを学ぶ(どう数学を学ぶのかが一番適切なのか研究する)学問といったかんじです。

これは個人的に非常に興味深く学べた理由の一つでした。なぜなら、僕は昔から勉強法とか、how to本とかの、ある一つのものをメタレベルで捉える事に魅力を感じるからです。

実際に授業内容でどんな事やったのかという事は以下のエントリを参考にしてください。ノート晒してます。

現代人類学の諸問題
現代人類学の諸問題2

じゃあ実際に素人がレポートしてミニエスノグラフィーを書いてみたらこうなったというのを晒したいと思うんですが、その前に書くにあたって非常に役に立った本を紹介しておきます。

フィールドワークの技法と実際―マイクロ・エスノグラフィー入門


異文化の学びかた・描きかた―なぜ、どのように研究するのか (SEKAISHISO SEMINAR)


この2冊は人類学専攻の友人にお勧めされた本なのですが、素人が「じゃあ実際どのようにして、エスノグラフィーを書き始めればいいの?」という点に、問いのたて方、調査の方法、調査からの考察のまとめ方としっかりと答えてくれてる良書でした。

あとは実際の人類学者の本を読んでおくと、どのように描くのかというイメージがつきやすいと思います。僕が読んだのはこの本。


では以下にそのレポートを公開したいと思います。あまりなじみのないと思われる質的調査がどのように描かれるのかに注目しながら読んで頂けると幸いです。

はじめに

 このレポートでは大学近くでの昔ながらの居酒屋の飲みの文化についてのレポートを記す。具体的なリサーチクエッションは「昔ながらの居酒屋における会社員のグループの飲みではアルコール飲料の注ぎ方が会社内での序列を反映しているかどうか」である。

 課題資料であったSTEPHEN R. SMITHのDRINKING ETIQUETTE IN A CHANGING BEVERAGE MARKETによると、日本の飲み会の源流にはMaussian ”gift”の文化があるという。つまり、自分自身に酒を注ぐのではなく、他人に酒を注ぎ、そしてその返礼として他人から酒を注がれる文化があると指摘している。彼によるとこの返礼文化による飲み会のおかげで、社会的位置が違う人々でも友好的な関係を築く事が出来るとしている。ただし、この資料が書かれた当時では、そのような社会的な関係性を構築するための飲み会だけでなく、一人で飲んだり、友人と気軽に飲んだりと、より個人的な飲み会が開かれるようになっているとも記されている。

 このレポートはこの資料で言及されている事を踏まえ、社会的な、境界性をつなぐための飲みというのが未だに存在しているのか。そして、存在しているとするならば、本当に返礼文化が中心となって飲みが行われているのかを検証したいと思い、先述したリサーチクエッションをたて観察、検証を行ってみた。
 

調査手法・調査理由

 私がこのレポートでフィールドワークを行ったお店は***(一応伏せておきます)というお店である。私がこのお店を実際に調査対象にした理由は以下の3点である。
 
 1点目、店内に仕切りがなく調査観察をしやすいということである。A店の中の概図を図1に示す。塗りつぶしになっている部分は基本的に移動可能な椅子である。また長方形型のテーブルもこの図の下部ではくっついてはいるが基本的に移動可能であり、お客の人数に合わせてテーブルを離したりする。この図を見ても分かるように***食堂は普通の居酒屋にありがちなお客ごとをしきる壁のようなものは一切存在しない。先述したテーブル間の隙間だけが客通しの境界となっている。そのためどこの場所に座っても、他グループの飲みの光景が詳しく観察することができるだろうとの判断を下した。これが***食堂を観察の場にした理由の一つである。なお便宜上、左上のテーブルの周りをAコーナーと呼び、横のカウンターの席をBコーナー、下のテーブルの左側をCコーナー、右側をDコーナーと呼ぶこととする。

 2点目、A店の歴史が古く、常連の客が多いため、観察対象である会社員のグループがA店を初めて利用しているお客であるという可能性が低いだろうという点である。A店はチェーン店のお店ではなく、店主によると約40年前から営業しているという。今回の調査は会社員のグループの飲みは先行研究のときに触れたフォーマルな飲み会の様子ではなく、日常的に行われている飲み会での様子を記したいと考えていた。そのため初めてお店に入るといったファクターは「会社員のいつもの飲み会」という調査対象からは除外したいと考えたため、A店を利用した。

 3点目、私自身が日ごろからA店を良く利用し、店員さんとのコミュニケーションがとれるため、調査依頼が出しやすい点が挙げられる。A店のオーナーは60前後の初老の女性であり家族での経営をしている。ホールでのレジや、料理の配膳、テーブルの清掃等は全て彼女が行っており、彼女は客からは「おばちゃん」か「おかあさん」と呼ばれている。私は部活での飲み会がA店で行われる事が多いことから、彼女と仲良くなり、今回の調査を依頼することになった。彼女は快く今回の調査に承諾をしていただいた。以後、彼女の事はおばちゃんと呼称する。

調査記録

 調査は5月中旬の金曜のとある日の8時半頃から開始した。私は図のCコーナーの場所に着席し、ポメラと呼ばれる電子メモ(客観的にみると電子辞書のように見える)と、英書を広げ、課題をやっている大学生を装った。こうした理由は調査対象に普段通りの飲み会というものを行ってほしかったため、調査対象の行動がその場でメモされていると思われないようにするためである。その時点ではBとDコーナーに客はいたがどれも1人であったため調査はしなかった。

 9時頃に3人のスーツ姿の会社員が来店し、Aコーナーに着席したため観察を開始した。名前が分からなかったため鈴木氏、佐藤氏、山田氏と呼ぶ事にする。鈴木氏が一番年上のようであり、佐藤氏と山田氏は年齢的には鈴木氏より一回り低く見えた。また見た目は同じような年齢層に見えたが、会話を聞いているうちに佐藤氏が山田氏を呼び捨てで、山田氏のほうが佐藤氏を先輩と呼称していたので、序列的には鈴木氏、佐藤氏、山田氏のようであると分かった。

 まず、彼らが座るなり佐藤氏が「おかあさん、とりあえずビール瓶1つ」とビール瓶を頼み、おばちゃんがビール瓶を用意している間に、佐藤氏が他の2人に何を食べたいかを聞いていた。二人がメニューをみて答えた少し後にビール瓶をおばちゃんがもってき、そのビール瓶を佐藤氏が受け取りながら先ほど2人から聞いた料理の注文を口で伝えていた。山田氏は佐藤氏が注文を言っている間にビール瓶を彼の手から受け取り、鈴木氏に注いでいた。この時、鈴木氏はビールコップを片手でもち、机の上に置くのではなく、空中でビールを注がれる形にしていた。続いて、山田氏は佐藤氏のコップにも同様にビールを注いだ。その後、佐藤氏がビール瓶を山田氏から取り、山田氏のコップに同様に注いだ。全員のコップにビールが注がれ終わった後、彼らはささやかな「乾杯」の掛け声とともにコップをぶつけ合った。そしてその後、各自のグラスに口をつけ、ビールを飲み始めた。
 
 鈴木氏が一番飲むスピードが速く、一回目の乾杯の後でコップを空けていた。すぐに山田氏はビール瓶を持って鈴木氏のコップに注いでいた。これから、料理が運ばれてくるまでの間2回、鈴木氏がコップを空け、1回佐藤氏がコップを空けたが全て山田氏が注いでいた。ただし、ビール瓶が空になり新しいビール瓶を注文するときに店員に依頼したのは佐藤氏であった。そしておばちゃんが配膳してくるものも全て佐藤氏が受け取っていた。

 その後、料理が運ばれてくるとビールを飲むスピードが収まり、談笑が中心になってきた。話していた内容は会社の取引先がどこならば会社の中のだれが得意であるといった会社の内輪の話であった。食事中のビールを注いでいた人は先ほどとは違い、山田氏だけでなく佐藤氏も注ぐようになっていた。山田氏は注がれると必ず、「あ、すいません」や「ありがとうございます」と敬意を示す言葉を発していたのが印象深かった。

 その後、だいたい10時過ぎぐらいになり、料理もだいたい食べ終わったころになると、ビールを注ぐのがほとんど佐藤氏になっていた。それまでは見られなかった自分へのコップへも自分で注ぐようになり、ビール瓶はテーブルの上にあるか、佐藤氏が持っているかのどちらかであった。11時近くになったころ、鈴木氏が「じゃあ、そろそろお暇するか」といって財布を取り出すと残りの2人もそれに従い、佐藤氏が「おかあさん、会計お願いします」といって値段を確認後2人からお金を集め、清算していた。その後、3人とも***食堂から出て行った。以上がこのフィールドワークで観察された内容である。

考察

 以上の観察から私なりの考察を記したいと思う。

 昔ながらの居酒屋における会社員のグループの飲みではアルコール飲料の注ぎ方が会社内での序列を反映しているかどうか。これに対しての私の結論は飲み会の前半部ではイエスであり、後半になるに従って個人のパーソナリティーに依存するようになるである。
 つまり、飲料の注ぎ方は飲みの前半では課題資料にもあったような役職などの役割にのっとった注ぎ方、社会的飲みの傾向が強いが、飲みの後半になるにつれて個人的飲みの側面が強くなるという事である。

 昨今では個人的飲みと社会的飲みが完全に分離されているわけではなく、個人的飲みが許容されてきたからこそ、社会的飲みの後半部に個人的飲みの傾向、年齢や序列に関係なく注ぎたい人が注ぐという傾向が出てきているように感じられる。

 これは観察のときに佐藤氏が序列でいえば2番目なのに、飲みの後半になるとビールを注ぐ役を引き受けていた事から推測している。佐藤氏がなぜそのような役回りを引き受けていたのだろうか。私は観察して佐藤氏は人とコミュニケーションを取るのが好きで、そして人の面倒を見るのが好きな人間なのだろうなと漠然ながら感じた。こう感じさせる事は彼の年齢や役職とは直接関係なく、彼自身の性格に由来するものであろう。

 日本における飲みが上下の境界を曖昧にする事によって関係性を円滑にしてきたとするならば、このように人間関係の円滑化の方法が役職などの役割よりも個人のパーソナリティに頼るようになってきた事は非常に興味深い事のように感じられた。

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このレポートの評価はBであり。担当教授からのフィードバックは以下のようなものでした。

質的調査法としての臨場感は伝えられているし、仮説にユニークさはある。
ただし実際の調査例が少なすぎる。少なくともあと1つは調査内容が書かれていれば説得力の持った仮説になったであろう。同様に先行研究があまりなされていないのが残念であった。

うーん、確かにその通りですね。

このエントリはここで終わりますが、少しでも人類学って何なの?と疑問に思った方の道標になれたのなら幸いです!

なぜ、僕がベイビーステップを面白いと感じるのか。

まえまえからずーーーっと気になっていたベイビーステップを遂に漫画喫茶で読んできました!

ベイビーステップ(1) (少年マガジンコミックス)


結論から言うと確かに良い!面白い!これはいい!

特に漫画においてリスクをとりいれている点は、現役でテニスみたいな個人競技のスポーツをしている身からすると(ちなみにバドミントン)凄く体に違和感なく納得できます。

えーちゃんの考える世界がこう、すっと染み込むんです。

少しでもスポーツを真剣に取り組んで、勝ちたいって思ったらやっぱりこれぐらいするんですよね。確かに試合中にノートをとるまではしないかもしれませんが、あそこに攻めて次はここだとかは結構日常的に意識してプレーします。だからこそ、勝負事の辛さとか楽しさとか十二分に実感できる。こう、現実とコミットメントする部分がある漫画は楽しいですよね。学ぶことが多いし、実際に自分の立ち位置として考えながら読むことができる。

ただ逆説的かもしれないですがベイビーステップを読んでいて特に気に入ったのが、

(頭を使う)努力することだけでは勝てない

ということをしっかりと描いている事なんですよね。

主人公のえーちゃんは、たいしてテニスプレイヤーとして能力が高いわけでもないので(といっても今の段階をみると素質はあったのだろうと推測できますけど)とにかく最初は理論を学び、そして教科書通りのプレーを考えながら身につけて武器にしていくといった方法で成長していきます。そのため、強い球を打つでもない、必殺技を持っているわけでもない、ものすごく曲がる球を打つわけでもないので、結局粘って粘って相手のミスを待つというコントロールタイプの戦術で勝つことになっていきます。でも、あるときにそれだけでは勝てないとえーちゃんが気づくんですよね。そしてそれからの彼の武器が素晴らしい。

あえて、外れるかもしれないけども(←ここ重要)リスクを取って自分のコントロールを武器にしたギリギリの球を狙って打つ
これが、彼の必殺技になります。僕はここに面白みを感じるんですね。

それは、なぜか

今までのスポーツ漫画はコントロールタイプっていうのは、全くリスクを取らないで、安全牌、安全牌をずっと重ねるだけのキャラだったと思うんです。そしてある程度の強さを最初から持っているけれども、成長しないキャラでもあるんですね。そして従来では決定的にこういう頭脳系のキャラクターは「敵」の役割でした。もっと言うとかませ犬のような役割、このようなローリスクをとにかく貫くという戦術を取って、主人公を最終的に成長させてやる役割を持ったキャラクターだったんです。

でも、ベイビーステップでは、頭脳キャラ自体が主人公であり、スポーツ漫画でそういう頭脳キャラが陥りがちなローリスクの選択という局所最適解を選びすぎるが故に成長ができなくなってしまうというジレンマを見事打ち砕いてくれています。今まで気づかないうちに読者を支配していた、コントロールタイプとはローリスク戦術しかないというステレオタイプをぶっ壊してくれています。このように、その先を描いてくれているからこそ面白みを感じます。

スポーツ漫画に厭味ったらしくない頭脳キャラという新たな主人公像を作りだしたベイビーステップ、僕はぜひお勧めします。まだ、読んだことがない人はぜひ読んでみてください!

現役コンサル社長の考えが面白すぎた件について

コンサルファームであるCDI(株式会社コーポレートディレクション)の代表者である石井光太郎氏のお話を聞いてきました。非常に面白く、かつためになったのでポイントを書き残しておきます。

日本におけるコンサルタントの歴史

まず、コンサルタントという業種の周辺知識の為に簡単な日本でのコンサルタント業の歴史をお話していただきました。ここの部分のポイントをまとめると以下の4点でしょうか。

当初の顧客は外資企業であった。

最初は外資系が1960年代に日本に入ってきたが、ここでの顧客は日本企業ではなく、日本に支店をだしてきた外資企業だったようです。日本企業にとってはコンサルタントという業種がなにをしているのかよくわからず、そこにお金をかけることは考えられなかったようです。確かに今でも名詞だけで〜〜コンサルタントと名乗れることを考えると、当時のコンサルタントというイメージは胡散臭いことこの上なかったでしょう。ただでさえ会社の経営という重要な点をどこの馬の骨ともわからない他者に任せることは心理的抵抗があった事は想像するに難くありません。

バブル崩壊まで

基本的にバブル崩壊までは先述の風潮は続いたようです。これは先に書いた心理的理由だけでなく、高度成長期と安定成長期の放っておいても企業の成長が続く状況ではコンサルタントという職そのものへの需要がなかったようです。

バブル崩壊から00年代まで

ここから日本企業によるコンサルタントの利用が開始されたようです。経営についてのコンサルタントを主業務として、業界全体の成長したのがこの時期のようです。

現代

ここが非常に興味深かったのですが、この頃の経営コンサルタントのクライアントが会社の経営陣から、投資ファンドのような会社外部者からの調査分析が多くなっているようです。これは投資ファンドが「この企業に投資したいのだけれどもどうすれば利益を確保できる経営プランが描けるのか」というのを第三者のコンサルファームに依頼する使われ方です。そこには従来のようなdoの観点は少なくなり、経営という事よりもマーケティングのような分析が重視されているようです。またそれに伴ってパッケージ化されたコンサルタント、費用対効果が最初から目に見えるようなコンサルタントが人気になってきているようです。

新卒のコンサルへのあこがれ

とまぁ、コンサルタントについての歴史が一通り話された後、ここからが本番とばかしに、めちゃくちゃ面白い話をきけました。

簡単にいうと

経営コンサルタントをエスタブリッシュと思って受けに来る奴はなんなの?馬鹿なの?

ということです(笑)

エスタブリッシュメントという訳語はYAHOO辞書によると

エスタブリッシュメント【establishment】
社会的に確立した制度や体制。または、それを代表する支配階級・組織。

との事ですが僕のイメージでは勝ち組という言葉が似合う職種ですね。
石井氏が言うにはこの頃は、頭がいいからとか、他の奴より仕事ができるからとか、お金が沢山もらえるからとか、人にものを教えるのが上手だからとか、そういった理由でコンサルタントを志望する人が多いけど、こんなのは絶対に嘘だそうです。一世代前の東大の就職先は官僚だみたいなものが経営コンサルタントになってきているのは嘆かわしいらしいです。

それはなぜか。

石井氏はこの点を「変じゃなきゃ勤まらないから」という理由で片付けようとしたのですが(笑)、実際には以下の理由から変じゃなきゃ勤まらないからという理由が出てきたようでした。

給与は別に高くない

コンサルタントといえば一部の外資の話が出まくるせいで、経営コンサルタント=高給取りのイメージが出来上がってしまってますがこれは事実ではないらしいです。確かにほかの業界の初任給よりは高いようですが、大半のコンサルファームの給与はかける時間に対しての報酬は絶対に低いと石井氏は断言していました。実際に少し調べてみるとCDIの初任給は500万程度らしいですが、これは早朝から深夜の労働が休みなしで1年続いた年収のようです。

仕事は泥臭い

出来る人間が、さっと戦略を考えてアドバイスをするなんていう華麗なイメージでは実際はないらしいです。考えに考えて、クライアントにいつ休まれているんですか?なんていうぐらいの仕事量をこなして、それでやっと標準の仕事とみなされるようです。

安定性なんて全くない

コンサルタントなんて、所詮クライアントからは外部の人なので切られるのはあっさり切られるし、安定性なんてものは景気に変動されまくりすぎるせいで皆無のようです。コンサルタントの費用なんてほとんどが人件費なんですから、売り上げが半分になったら人件費半分にすればいいんですよ、そうすれば潰れないじゃないですか、石井氏はさらりと言ってました。

考える事を仕事と考えているようでは甘い

コンサルタントの仕事は考える事ですが、これを仕事として行うようでは絶対に足りないようです。気づいたら考えているぐらいの頭じゃないと仕事をこなすことはできないだろうと言ってました。

学生のイメージとの齟齬

これらの事からコンサルタントをやる人は、学生の中で広まってそうな「わりあいできる奴で他人が難しいと思う事もそつなくこなせる。自分の能力を活かして高給与を狙うか」なんて人は全くコンサルタントに向いていない事がわかります。上のような条件を見ても「まー、それでも俺、考える事しか能ないし」とか思っちゃうような人間が向いているようです。

凄く面白かった言葉に「コンサルに就職するってことは職人に弟子入りするようなものなんだよね」という言葉がありました。

「君、就活のときに家族に落語家に弟子入りするって言ってみ、絶対反対されるだろ?それぐらいの気分じゃないと経営コンサルなんて足突っ込んじゃだめだよ」とまで言ってました。「金が欲しかったら投資銀行とか証券行った方がいいですよね、教えるのが好きなら学校の先生になればいい。コンサルの多くの人がコンサルなんてならない方がいいって言ってるのは脅しじゃなくてただ純粋にそう思ってるだけだから」だそうです。恐ろしいですね。

極めつけは
中途採用での最終面接のときにもし配偶者がいたら、これを確認してきてくれっていうんです、でokだったら採用します。これっていうのは、僕は明日からイラク戦争の真ん中に派遣されることになったから3年ぐらいまともに落ち着いて会話もできないかもしれないし、命の危険にさらされるかもしれない。それでもいいか?という事です。いや、本当にこれぐらいじゃないとコンサル業界を続けれないんですよ
という発言。世の中のコンサル業界を志望している就活生全員に聞かせたいセリフでしたね。

経営コンサルタントなんて全然勝ち組の仕事じゃないよ、と、ステータスに踊らされすぎるなよと、非常に目が開かされた思いでした。

日本が国際競争力を高めるには

コンサルタントの話とは少し外れるのですが、これも面白かったので書いておきます。
ある人が日本の国際競争力を高めようとしたらどうすればいいですか?と質問したのですが、その時の石井氏の答えが秀逸でした。

「まぁ、実際は無理ですね。国際競争力って言っても日本人は日本が大好きですから。台湾の人とかは大学生の6割以上が(台湾という国内には先がないから)どうやって海外に就職するかばかりを考えているようですが、日本人もそれぐらいになれたら国際競争ができるようになるんじゃないですか。そもそも、大企業のコンサルをしていて感じるけども、企業として国際競争力を高めなくては→だからアジアに支店を開くぞ!といってアジアに支店を開かせて市場を作ろうとしてても、行かせた社員のほとんどがどうやったら日本に帰って日本の本社で出世できるかしか考えていない。日本というのを本拠地という発想である限り本当の国際競争力はつかないでしょう。現地に行った、よし、じゃあそこに骨をうずめて商品を流行らしてやるぜ!といった気概を持てる人間が沢山出てこない限り、国際舞台での勝利はおぼつかないでしょうね」

思わず、うーん、確かにそんな気概が日本人にあるのか?と思ってしまいました。
というわけで、この辺で締めますが、非常に興味深いお話を聞かせて頂いた石井氏には本当に感謝しております。
ありがとうございました!