文字の洪水に溺れながら

人生初心者、でも人生のハードモードぐらいを生き抜きたい人間。

駄目さを指摘するぐらいなら解決法を示せ、解決法を示すぐらいなら解決してみせろ

言いたいことは題名そのままです。
将来の自分がくじけそうになったときの為に書いておきます。

解決できる人になれ

駄目だと否定するのは誰でもできます。
駄目さの原因を指摘するのも割合多くの人ができます。
問題の解決方法を提示できる人もある程度はいます。
でも、解決することができる人はほとんどいません。

貴方は解決する事ができる人になってください。

貴方が気づいた問題は貴方が解決しよう

周りには問題だと気づかない、感じない人もいます。
周りには問題だと感じていても、解決するほどではないと考える人もいます。
周りには問題だと感じていても、見て見ぬ振りをする人もいます。
周りには問題だと感じて、努力をしたのだけど諦めてしまった人もいます。
周りには問題だと感じていて、必死に努力している人もいます。

問題の周りにはいろいろな人がいますが、
貴方が本当に問題だと思うのなら、貴方がその問題を解決すべきです。
それが最も確実で、最も後悔が残らない方法です。


問題だけ暴いて、満足するような人になるのだけはやめなさい。
問題だけ暴いて、他人任せにするような人になるのはやめなさい。
問題を暴き解決法を考えて、それを人任せにするのもやめなさい。

駄目さを指摘するぐらいなら解決法を示しましょう。
解決法を示すぐらいなら、最後まで責任を持って解決してください。

そんな人に貴方はなって欲しいと思います。

自分が解決にコミットできない問題を指摘するべきか?

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卒論・レポートの完成度を高めたい大学生のための『わかりやすい文章を書くためのコツ』

100ページの文章術 〜わかりやすい文章の書き方のすべてがここに〜



非常に役に立ち実践的な文章術がコンパクトにまとまっていたので、自分用にまとめメモ

文章の構成

文章の構成は基本的に以下の要素で構成される。

  • 前情報
  • 扱う話題
  • 論の組み立て
  • 回答
  • 補足説明

要素の表出順番もだいたい上のような流れになる。
ただし、文章によってはある程度の要素が抜けていても問題はない。
この構成は文章全体にも言えることだし1章だけ抜き出しても当てはまる。

文章全体としてわかりやすくするには

文章全体をわかりやすくするために大切なのは「骨格」
骨格というのは書きたいことの流れのこと
ちなみに文章の骨格の重要性に関して読んでるとnext49さんのこの記事を思い出した。

論文の味わいを決めるのは脂じゃなくて骨なんだ!骨がきっちりした論文は肉がきっちりついてうめぇ。
骨がガタガタなのに肉をつけようとすると犬にでもくれてやりたいできあがりになる。そいつはいただけねぇ。
『俺様に論文を指導してもらいたければ以下の手順を踏みやがれ!』発声練習

骨格の練り方は以下の通り

  1. 回答を決める。別に1つであるとは限らない
  2. 扱う話題を決める。これは1つでないといけない
  3. 回答に論理的に結びつく一連の主張を並べる
  4. 扱う話題の上に何らかの主張をおいてもよい。それは前情報となる
  5. 回答の下に何らかの主張をおいてもよい。それは細く展開となる
  6. 論の組み立て・回答に必要に応じて複数の主張を統合する小話題をおく


骨格ができたら文章を書くことにとりかかる。
その時に気をつけるべきポイントは以下の通り。

わかりやすい文章全体の書き方
◆無駄な情報を削る

◆一度に一つの話題だけ扱う
 ・一つの章には一つの大きな話題だけ
 ・一つの段落では一つの話題だけ

何の話をするのか前もって知らせる ・見出しをつける
 ・小段落の冒頭で扱う話題または回答を明示する
 ・回答の概要を述べてから細部に入る
 ・次に来る文の位置づけを教える

◆原則として、前の文の要素を次の文の話題とする

◆読者が待っている情報を与える

◆読者が知らないであろうことは説明する

重要なことがらから述べる

個人的には赤字にした以下の2つを特に意識すること。
「何の話をするのか先に知らせる」と「重要なことがらから述べる」
読者には「今なにを話しているのか」を常に理解させ、
その話題で「最も重要なこと」を真っ先に理解させなくてはいけない。

一つ一つの文をわかりやすくするには

わかりやすい文を書くためには、わかりにくい文を書かなければいい。
文がわかりにくくなる原因は以下の通り。

◆一つの文に多くの情報が詰め込まれている
◆情報を与える順番がおかしい
◆どの語が度の語を修飾するのかが不明瞭である
 ・ある語が修飾している後を見つけにくい
 ・被修飾語の候補が複数ある
◆言葉のまとまりを捉えにくい


つまり、以上の原因を排除するように文章を書けばよい。
具体的なまとめは以下に記す。


一つ一つの文を解りやすく書くには◆一つの文で一つのことだけ言う
 ・無駄な情報を削る
 ・複数の情報を次々つなげない
 ・情報をついでに付け加えない

◆重要な要素を先にする
 ・その文の扱う話題を先にする
 ・扱う話題を読者が解っている場合は主張を先に記す

◆語と語との修飾関係を明確にする
 ・長い修飾語を先に、短い修飾語を後にする
 ・短い修飾語を先にする時、その後ろにテンを打つ
 ・長い修飾語の後ろに長い文がつつくとき、その長い修飾語の後ろにテンを打つ
 ・意図せぬ修飾関係を生まないように配置する
 ・修飾関係を断ち切りたいとき、そこにテンを打つ

漢字とカナを混ぜて、言葉のまとまりを捉えやすくする


とくに赤字にした修飾語関連の箇所と漢字カナの箇所は勉強になった。
解りやすさが格段に上がることを以下の例で確認してほしい

× 同僚が先の見えぬ恋に瞳を燃やしているR子に迷子札を張った。
○ 先の見えぬ恋に瞳を燃やしているR子に同僚が迷子札を張った。
『長い修飾語を先に、短い修飾語を後にする』

× 倒れた隣家の庭木。
○ 隣家の倒れた庭木。
『意図せぬ修飾関係を生まないように配置する』*1

× 指示されたので全員早速厨房に行った。
○ 指示されたので全員でさっそく厨房に行った。
『漢字とカナを混ぜて、言葉のまとまりを捉えやすくする』

まとめ:上記を使って文を推敲する手順
  • 情報を絞って、一文に一情報にする。
  • その文の重要な要素を先にする。
  • 修飾関係が不明瞭なら語順を替えるか、テンを打つ。
  • 修飾語と被修飾語の距離を短くする。
  • 漢字とカナの混ぜ方を工夫して見やすくする。

最後に

いろいろなテクニックをまとめましたが、一番重要なのは
「わかりやすいか」という意識をもって読み直す。
ことだそうです。面倒くさがらず、しっかりと推敲しよう、自分。

*1:×の例では倒れたが隣家にかかるのか、庭木にかかるのか不明瞭

就活が終了して

実は、数ヶ月前から終了はしていたのですが、
伸ばし延ばしにして報告がここまで遅れてしまいました。
(その意味でSNSって怖い。更新意欲を以上に下げる・・・。)

というわけで、ひとまず無事に社会人になる事は出来そうです。
ブログ読者の皆様、改めてありがとうございます。

後はどれだけ残りの学生生活を後悔しないようにするかが直近の重要な問題です。
自分の興味ある事、やりたい事、出来る事を時間があるうちにもう一度見直していきます。

読書関連ですが最近はビジネス関連の本ばかりだったので、
気分を変えて『ソフィーの世界』なんかを読み進めています。
やっぱり、哲学は良いですね。

ソフィーの世界

ソフィーの世界

というか、たとえ役に立たないと頭のどっかで感じても、
体系だって頭を使って考えるという行為が、癒しと言うか幸福感を与えてくれます。
ビジネス関連は考えるために読むというか、いかに使えるよう読むか、
という読み方になるので根本的な血肉になる感覚が違うんですよね。

こういう読書はいつまでも続けていきたいなぁ

ブログ書くのが割合好きだった就活生が、ブログを書いていない理由

見ての通り、更新がストップしています。

ただ、書きたい事は山ほどあるんです。
でも、自らの中で「ブログを書く」という順位が高くしてはいけないと結論付けているせいで、更新が止まっています。

就活と言う人生の岐路の真っただ中で、
現段階で自分がかけられるリソースを考えた時、
正直、ブログにかまけている暇はないと判断しました。

いや、かまけるという書き方は正しくないですね。
ブログは僕にとっては自己表現の大切な場です。
しかし、これは趣味であるとも思っています。

自分の人生を決めるときに、
ましてや、それが社会人になるという「仕事」を取りに行く過程の時に、
自身の享楽のための「趣味」にリソースを注いでしまうのは、
めちゃくちゃもったいない事だと考えています。
今は逃げてはいけない時だと思うのです。

僕には師匠と仰いでいる方がいますが、
その方も、忙しい時には趣味を逃げ道にするのではなく、
ブログの更新を控えて、全力で仕事にコミットしています。
そして、そう生きる事が格好いいと僕は学びました。

きっと、僕がまた記事を書くのは
ひとつ大きなやり遂げた事を報告できる時だと思います。

その時に、またご覧になってくださる方がいれば、
どうぞよろしくお願いします。

本がない本屋とか素敵じゃないですか?

ニートの19歳女の子を札幌『紀伊国屋』に連れてったら感動して泣かれた話
http://e0166.blog89.fc2.com/blog-entry-408.html

だいぶ前に流行ったエントリなんだけど
この頃、電子書籍に興味をもったという前提で読み直したとき

逆に本屋と言うのは、ほぼ全ての本が平等であり、どれを買うかは本人が調べ、考え、選び、そして購入に至ります。

本屋の面白さはここにあると私は思っています。

ここの部分に物凄く興味を惹かれました。
電子書籍なのに、ネット上ではない本屋さんを作ってみたいと、
漠然と思ったのはこういった理由があるからなのだろうか。

自分の中でも、上手く整理は付けられてないですが、
電子書籍と何らかの形で関わっていきたいなぁ。

選択肢を広げる事だけでは幸せにはなれない

はじめに

この記事は人生の岐路の選択をする事に前向きになれない人のために書きました。
つまり自分へ向けての励まし書きです。別に誰かを批判したいとかそういう目的は一切ないです。

教育とは選択肢を広げる事?

突然ですが日本の教育システムはほとんど選択肢を広げるためにできてます。これは経験談です。*1

さすがにもう、

良い高校に入って
良い大学に入って
良い会社に入って
良い生活を送るのが幸せなんだ

なんて言う価値観を堂々と言われなくはなりました。が、それでもこの考えはまだまだ生き残っている気がします。
そもそも十数年前にはこの考えは真理でしたし、簡単に変化する訳もないでしょう。今では堂々とみんなが言わなくなっただけであって、まだまだ日本人の多くの前提として存在していると私は感じます。

更に言うと、教育システムはこの無言の要求にしっかりと反応しています。

できる限り、良い高校、良い大学、良い会社という安定したロードに行かせる事が優秀な教育機関であるとの認識の下、各教育機関(中学校とか高校とか)は、次の教育機関(高校とか大学とか)への進学実績をアピールしています。多くの人も、教育機関の中で何を学べるのかというよりは、次の教育機関に繋がるかという観点で判断します。

ここでは「いや、次の教育機関に進めるだけの教育水準があるかどうか」が教育の質と同値であって、進学実績をアピールすることは学びを深めている結果なんだ、という反論があるかもしれません。実は僕はこの考えに否とは言いません。これまで書いてきておいてなんですが、僕は今の教育機関に文句を言いたいからこの記事を書いているわけではありません。

僕が今言いたいことは、そのように考えても考えなくても、今の日本国民の前提には「より優秀な人間になれれば、優秀な場所に行けて、より幸せになれる」というロジックが存在しているという確認です。

「より優秀な人間になれれば、優秀な場所に行けて、より幸せになれる」

この考えの根底には「優秀な人間になれれば選択肢が増える」という前提が隠れているんだろうと感じています。
確かに大卒と中卒ではとれる選択肢はぜんぜん異なります。(世間一般的に)優秀であればこそ成功する確率が高い選択肢を選べるようになるのは事実だと思います。*2

選択肢を増やす選択肢

前置きが長くなりましたが、やっと今回の記事の主役、「選択肢」にたどり着けました。
前項でも確認したように、日本では選択肢が増える=優秀である、という風潮があります。

そのため「良い選択肢=選択肢を広げる選択肢」という不文律がおのずと出来てしまっているのではないでしょうか。

確かに選択肢を広げるという選択はとても魅力的です。

実際はしていなくても、選択肢をもっているというだけで人はある程度満足します。

「俺だって本気を出せば、あんな事ぐらいできる」「やろうと思えば、あれはできる」といった一種の全能感に近いものがあると思います。更に少し面倒くさいのは、その選択肢を広げるためにはそれなりの努力を強いられるために、そこにプライドを持ってしまうことが多いと言うことです。先述したとおり、日本ではたくさんの選択肢をgetしようとすれば優秀な教育機関に進む必要があります。

そして実際に努力の果てにたくさんの選択肢を手に入れた人間は究極の手段と目的の勘違いを起こします。

それは

選択肢が多いことが幸せである。

といった誤解です。

違います。

僕らは幸せになるために選択肢を広げたはずです。

幸せになる=目的
選択肢を広げる=手段
 です

それなのに、選択肢を広げることに心血を注いだ人は(そして日本の今の制度だと先述したとおり自然とそうなるようにできていると思いませんか?)選択肢が広がる=幸せ=目的と混同してしまいがちです。

選択をするという恐怖

そのように「選択肢が多いこと」が幸せであるという勘違いを起こしてしまった人は、選択をすることを恐れます。当然ですよね、だって選択をしたら選択肢が多いという幸福状態から離れてしまうのですから。

正直な話、僕もまだこの思いはまだまだ多大にあります。就職活動が実際に始まって、自分の働きたい業界を決めなくてはいけない、どんなライフプランを選ぶのか決めなくてはいけない、何に価値観を定めるのか決めなくてはいけない。そういった選択をするという事はものすごく勇気がいります。

それでも、それでもやっぱり、選択肢を広げることは選択をするために広げているはずですよね。
選択肢を多くする、多い状態であるというのは、次の段階のための準備でしかないはずです。

自分が今まで広げてきた選択肢を信じて、選択すること。
そして、今まで選択肢を広げることに向けていた努力を、選択した事に向けること。
これをして初めて、選択肢を広げるという行為が幸せに繋がるのだと思います。

あなたは今、選択をすることを先延ばしにして、選択肢を広げるという選択に逃げてはいませんか?

*1:日本のと銘打っているのは単純に日本しか知らないからです。他の国は違うのかもしれないですし、違わないかもしれないです

*2:余談ですが大学生が勉強をしなくなったというのはここにも原因の一つがあるように感じます。日本の学生のほとんどは学びを深めたいから進学するのではなく、選択肢を増やしたいから進学しているのではないでしょうか。(いうなれば大卒という資格をとるため、という奴です)

記憶の外部メモリ化は学生の本分とは合わないのかもしれない

そんな事をこの頃、思ったりしてます。

まず学生っていうのは主に大学生をさしてるんですが、大学生の本分って何か体系だった知識を頭に突っ込む、自分の頭でその分野についてうんうん頭を悩ますことじゃないかとこの頃考えるようになってきてるんです。

で、そう考えたときに記憶の外部メモリ化(evernoteGTDとか)のような頭で考える負担を減らそうというのは、実は「社会人の思考法を実践してストレスフリーに近づいてる、俺、cool!」という思い込みだけで終わって、大学生(という時間がある立場)だからこそできる「1つのことに関して真剣にうんうん悩む」ということが疎かになってしまっているんじゃないかなーと自分で自分自身を危惧してます。

こう考え始めたのは理由があって、友人(その人は勉強したいって大学に来ている人で、個人的にも凄いなぁと感じることが多い)が、

「パワーポイントを使ってスライドで何枚も説明する講義は嫌だ、(情報量だけ多い)パワーポイントをただ写すだけの作業ゲーになってしまって講師の言っていることに集中できない。自分の中で咀嚼をする時間が授業中にない」

って言ってたんですね。

僕はこの視点が凄い新鮮で驚いた記憶があります。

というのも、自分はpomeraを使って授業で学んだことは自分の頭ではなく外部メモリに保存して、必要になったときにでも参照しようという態度になっていたんです。いかに授業は作業ゲーに落とし込んでしまうかという、言ってしまえば効率重視な考え方ですね。で、効率化が高まればわーいと喜んでいたという形です。

でも、これって本当に自分の頭のトレーニングになっているのか?と、先述した友人の言葉から考え始めたわけです。記憶の外部メモリ化を行うことによって、たしかに僕の成績は向上したし、時間創出にはつながったかもしれない。でも、もしかしたら大学で一番得るべきものの1つであるはずの「考える力」が疎かになっているのかもしれない。そういった気づきがあったとかそういう話です。

まぁ、昔から「苦労は買ってでもすれ」って言いますしね。もう少し、苦労したいと思います。


蛇足
ただ、上記は大学を学びの場として捉えているという前提があるので、この頃の風潮である「大学は大卒という資格を手に入れるための場にすぎなくて、そのために卒業までに、いかに楽をするかを考える」(from 東大の友達)という思考とはあんまり合わないとは思います。むしろそういう学生には記憶の外部化の活用というスタンスは正しい選択だとは思います。